早稲田大学公認登山サークル 岳文会

コラムバックナンバー
2012年度コラム
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『一人一言』


幹部交代合宿お疲れ様でした。
52期の皆さん、楽しかったですか。
53、54期の皆さん、素敵な場を作ってくれてありがとうございました。

岳文会員にとっておなじみの一人一言。
嫌いな人が多いかもしれないけど、わたしはあれが大好きです。


金曜の前夜祭オールを経て、土曜夜も睡魔や酒と戦いつつ100人の言葉を聞く。ギリギリのところで自分の限界に挑戦する感じたまらない。( そういう意味では一年とき金曜カラオケ行かなかったのちょっと後悔してます。)
蛇足ですがカラオケで座らないとか、全曲飛び跳ね続けるとか、首を傷めるまで振るとか、そういうマゾっぽいことも私大好きでした。今は体力的に厳しい...


あと、サークルって似た人達が集まるはずなのに、(岳文会でいえば山嫌い、酒好き、人間好き)たまにマイノリティが吼えるのがたまらない。
岳文会に喧嘩売るような刺激的な一言が好きです。各々の問題視していることを主張してくれる一言が好きです。
昔は「酒が嫌い」「サークル掛け持ち」等がマイノリティだったでしょうか。


運営に携わる今後の1、2年生にとって、その場で聞いた一言がサークル運営のスパイスになると思うので「好き」以上に必要な行事だとも思っています。
逆にサークル運営のプラスにはならないと感じる人が多ければ無くせばいいのではとも思っています。

わたしらの時の幹部学年の先輩方が「岳文会はみんなでやるサークルだ」ということをよく仰っていたので、このサークルはみんなの話を聞いて、それぞれの意見を大切にしてくれるサークルなのかなと感じたものでした。
このように岳文会が好きでしょうがなかった頃の甘酸っぱい気持ちを思い出すので、一人一言の度に初心に帰れる気がして好きなのかもしれません。


以上、潰れて一人一言を聞けなかった四女のたわごとでした。
私は今年の春合宿も楽しみにしています。

51期 佐藤

『コラムあて』


コラムが好きです。

そんなわたしがこっそり行っているゲームが・・・コラムあてです。
・・・白石もやってるって言ってたなぁ・・・
・・・たぶん、みんなやっているんでしょうね・・・


岳文会のホームページを開いたら、コラムがありますよね?
広報さんが定期的にコラムを更新してくれています。

わたしはパソコンを起動するたびに岳文のホームページをのぞいているんで、コラムの更新をいつも心より楽しみにしています。
そして、コラムが更新なんかされたりしていると、「うおおおぉぉぉ!! 更新されとるううぅぅぅぅ!!!」と叫びたくなるほどわくわくします。
そして、急いでスクロールしたい気持ちを抑えつつ、新しいコラムを、一文字一文字、せいいっぱい噛みしめつつ、じっくりと読みこんでいきます。

そして想像します・・・・・
これはだれが書いたコラムかな・・・・・・?

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・・・・・・・
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・・・・・・・・・
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51期 村井

『正式名称・足白癬』


私がこの夏苦しめられた症状がある。
それは何をかくそう、あのクレヨンしんちゃんのひろしも悩まされた“水虫”である。

まず初めに断わっておくが、現在は完治している。だから飲み会の席で隣に座らないとか、私が入った温泉に入らないとか、そういう露骨ないじめはしないで欲しい。

さて、今回水虫について記そうと思ったのは2つのことを伝えたかったからだ。

1.水虫は誰でもなりえる病であるということ
水虫は白癬菌という一種のカビ菌が繁殖することによって起こり、場所も足だけとは限らない。意識の有無に関わらず日本人の5人に1人が罹患者らしい。
私の場合、夏に大規模な飛び火に罹り足をゴシゴシ洗えなかったことと、2週間のホテル住まいで罹患者と接触したことに原因があると思われる。
縦走で長くお風呂に入れず、温泉という感染経路に頻繁に行く諸兄も、どうか気をつけて欲しい。決して「おっさんの罹るもの」ではないのだ!!

2.水虫は身体的苦痛より精神的苦痛が大きいということ
想像してほしい。うら若い乙女がダンディーなお医者様に足を見せ水虫を宣告される時の衝撃を。
ドラックストアでレジの後ろの棚にしかない水虫薬「ブテナロック」をお兄さんに頼んで取ってもらう時の羞恥を。心やさしい皆様ならば分かるはずだ。
もし「私水虫なの…」とカミングアウトされたり、靴を脱いで座敷に上がるのを躊躇している友人を見たら、どうかやさしい眼差しで見守ってほしい。

これで、もし足の皮がやたら剥ける等の症状になった時は私のことを思い出すのではないだろうか。その時は忌憚なく相談してくれ。

51期 木村

『偉大な存在』


このコラムを読んでいる皆には反抗期があっただろうか?
もしかしたら未だに反抗期から脱し切れていない人もいるかもしれない。(岳文会を続けていくには親との戦いは避けられない道だしね!笑)
親と良好な関係を築いている優等生も、逆に親と上手に付き合えていない不器用さんも、このコラムを読んでくれれば幸いである。

私にとって、大学4年間で最も自分の中での認識が変わったのは“親”に対する考え方である。

実家暮らしの私にとっては、親は毎日顔を合わせる存在であり、どちらかと言えば自分にとって煙たい存在である。
嬉しいことよりも、大抵は忠告・批判系の口うるさいことを言われる。
いつだって上から目線だし、分かりきったようなアドバイスをしてくることもしばしば。
いったい俺のことを何歳だと思っているのか!と何度思ったことか。。。

大学生は精神的には自立していても、経済的にはまだまだ親の保護が必要な存在。
しかし大学(ないし大学院)を卒業すれば社会に出るわけで、精神的にも経済的にも自立しなくてはならない。
当然、親の言うがままに行動したくないと思うのは必然で、「早く自立したい」と強く思う私にとって親への反発心は必然であった。
しかし、卒業が近づくにつれて、自立しなくてはならない時期が近付くにつれて、親に対する考え方が変わってきた。

親は偉大な存在である。

いつだったか、定例飲みに向かう馬場歩きの最中、53期の宮原と話していた時に彼が「親が自分たちにしてくれてる全てのことって“無償の愛”ですよね。いったい俺らに今までどれくらいの金額つぎ込んだんですかね?とにかく1つ言えることは、俺らに見返りは絶対に求めてないですよね。」と言っていた。
レポートの提出期限がギリギリの時、友達関係でどうしようもなく悩んでいる時、サークルやバイトで途方もなく忙しい時、みんなは自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていないだろうか?少なくとも私はそうなってしまっている。

「最近分かるようになったんですけど、それまで親のこと完璧な存在だと思っていたんですけど、実は俺らと同じ人間なんですよね。」と宮原が言っていた。
この年になると、家で一緒に食卓を囲みながらお酒を飲んでいる時に、親が私に愚痴を言ったりする。そんな時に「親もいろいろ大変なんだな。」と思う。
しかし、それでも確かなことは、親は自分のこと以外に家族のことも常に考えているということだ。
親だって仕事で大変なことが沢山あるはずなのに、それでも私たち家族のことを常に考えているのだ。
「家庭を支える」と簡単に言うけど、それがどんなに大変なことか。
「少なくとも今の俺らには無理だ」という結論に私と宮原は行きついた。

卒業したらいよいよ自立しなくてはならない。しかしまだまだ自分のことを考えることで精一杯だ。親から自立したいと思っていたのに、気が付いたら親が自分の目標になってしまった。親に追いつける日は来るのだろうか。

親は偉大な存在である。

こんなこと恥ずかしすぎて面と向かって絶対に言えないけど、とてつもなく親のことを尊敬してるし、一生の目標にしていきたいと思う。

どうか私の両親がこのコラムを読みませんように!笑

51期 伊藤

『 ロマンスは突然に 』


これは、むか~しむかしの物語。

ヨウコ25歳。
保育士として都内に勤務している。
学生時代から可愛いと評判で(自称)、社会人として働いている現在も、ボーイフレンドが途切れない(らしい)。
チャームポイントは、おしとやかなところ…。

そんな彼女は、最近山登りを始めた。
学生時代からワンダーフォーゲル部に所属していたのだが、社会人になってからは仕事が忙しく、山と疎遠になっていた。そんな中、やっと仕事にも余裕が出てきたので、社会人が集う山登り団体の門戸を叩いたのである。
社会人といっても、比較的若者が多く20代~30代の人がメインの団体で、毎月高田の馬場のルノワールで会合が行われ、山の計画を立てたり、おしゃべりをして過ごした。

ヨウコはここで、気になる先輩が出来た。一ノ瀬さんという、少し無口で憂いのある人だ。
運命の出会い…ヨウコは思った。

しかし、運命とは、時に思わぬ方向に動くものである。

北岳の下りで、ヨウコはお花摘みに行きたくなった。リーダーの一ノ瀬さんに言おうと思ったが、恥ずかしい。ましてや「他の人が来ないように見張っていて下さい!!」なんて言えるわけがない。
しゃーない、ここはこっそり…と思った所に、一人の男が目に入った。ツヨシさんだ。ヨウコより2つ年上の27歳。とりあえず背は高いが、これといって目立つ事はなく、関わった事もなく、正直どーでもいい感じ!?でも、害はなさそうだな…

ヨウコ「ツヨシさん、すいません!!ちょっとお花摘み…見張っててください!!」
ツヨシ「はい、了解です」

ツヨシさんは立派に、お花摘み見張りを全うした。しかし、下山後にある失敗に気づく。

「えっ?コッヘルがない?忘れた?」
下山して3日後、突然ツヨシさんから電話から電話で、団装のコッヘルを山に忘れてきたと連絡が入り、同じ班の調理係として、ヨウコも一緒にコッヘルを買いに行く事になった。
正直面倒だが、ダンキンドーナッツぐらい御馳走させてやるわ…どこまでもツヨシさんに興味のないヨウコだった。

しかし、運命の歯車は、ここでますます狂い始める…

1年後、ヨウコの横には一ノ瀬…ではなくツヨシさんがいた。2人は結婚したのである。
この短期間で、いったい2人の間には何が起こったのだろうか。神様のいたずらなのか、仏さまの意地悪なのだろうか?なぜヨウコは冴えないツヨシさんと結婚してしまったのだろうか…。

22年後
娘「ママ、なんでパパと結婚したわけ?」
ヨウコ「え?妥協よ妥協。あんたね、人の顔だけ見てたら、いつまでも彼氏も出来ないし、結婚出来ないよ。パパはね~最初全然興味なかったし、顔も好みじゃないけど。
ま~鼻筋は通ってたから、子どもに遺伝したらいいなーなんて思ったけどね。結局あんた、ママの鼻ぺちゃが遺伝しちゃったしね…。あと、頭良かったし、高身長だし、多分高収入になりそうだから、それを見込んで結婚したの!!」
娘「・・・・・・・・・・」

ちなみにツヨシさんは、ママは昔、本当におしとやかだったのに、いつのまにか怪獣に進化してた。もしこうなると分かっていたら、絶対結婚しなかった…と言っていた。

高い鼻筋を受け継がず、鼻ぺちゃと、怪獣に進化するであろう素質を、しっかりと受け継いだ娘は、現在登山サークルに所属している。これも一種の遺伝なのだろうか?

51期 渡邉

『So Coolなクリスマスだったぜ!!!』


私が、この肌寒い下界にて、底をついた資金を獲得すべく汗水流しているちょうどその頃、
あなた方は暖かいな笑いと冷ややかな視線、罵声と悲鳴の入り混じった、恒例のM1的な祭でも催しているのでしょう。

そして、帰り損ねた私がデニーズにて、一人12月の夜風と同等の冷たい視線に晒されているちょうどその頃、
あなた方は祭の余韻冷めやらぬままに、飲めや飲めやのばか騒ぎをしていることでしょう。

そう思うとどうしても、
DBZのセルみたく

「チクシォォォォォーーーーー!!!」

ってなるわけです。

そこで、こんな私の独りよがりな悲しみと理不尽な妬みを込めて、T局の某大物芸人ASの冠番組の中で、かつて某有名アナウンサーAが司会をしていたあのコーナーのように2曲愚痴らせていただきます。


「いつかのデニーズクリスマス」 作詞:T●M●YA 作曲:TAK MATUM●T●

ゆっくり~と 24日の終電 走り始め
混乱する 僕を余所に 電車は走っていく

途方に暮れて 近くを見渡すと 近くにはマックもコンビニもなく
色褪せたネオンを輝かせた デニーズぐらいしかなかった

始発までずっと外に いたら死ぬ予感がした~
バイト先は超ド田舎で タクシーも通るような気がしな~い

今日のバイトの稼ぎを全部 使うのだけは避けたいと
冷たい視線に耐えている 切ないいつかのデニーズクリスマス

51期 津村

『駅寝』


あなたは山手線の終点駅がどこだかご存じでしょうか。

答えは大崎駅、品川駅です。山手線の車庫はあれだけの数の電車があるのに一つだけで大崎~品川駅間にあります。
また終点駅が二つ存在するのは乗った電車が内回りか外回りによって異なるからです。

そして幸か不幸か何度か大崎駅、品川駅にお世話になったことがあります。その際私にはタクシーで帰るお金もホテルに泊まるお金もないので駅で寝ます。
そこで今回快適な駅寝の仕方について語っていきたいと思います。

まずは出来るだけ人に迷惑を掛けない場所を探します。基本は端っこなら大丈夫なのですが扉の前や切符売り場の前はダメです。駅員さんに怒られてしまいます。
また寝方がとても重要で、間違えると大変なことになります!
世の中には寝ているあなたに声を掛けてくれる人がいます。親切なら有り難いのですが残念ながらその人はあなたが寝ているのを確認したら財布や鞄を盗んでいくでしょう。
そんな人本当にいるのかと思う人もいると思いますが過去に一度ずつ盗まれた私がここにいます。
そんなつらい思いにこれを読んでるあなたにはして欲しくないのでぜひ駅で寝る時は財布、時計、携帯などの貴重品を鞄やリュックに入れ、それを枕にしながら寝ることをオススメします。これで盗まれなくなります!


あとこれからの季節どんどん寒くなると思いますが、風邪を引かないように気をつけて、よい駅寝ライフを!

51期 田口

『2年前の成人式』


2年前の成人式の日、1通の手紙をもらった。
キャラクターの便箋に1枚、クセのある字で書かれている。


こんにちは。 お久しぶりです! 元気ですか?

2週間前に、中学受験が終わりました。
私はこの頃毎日、クラスの絵理ちゃんや亜希ちゃんたちと遊んでいます。

私が最近嬉しかったことは、自分の部屋をもらえたことです!
家族旅行で行った場所のテレホンカードとピンバッジをコレクションで飾っています。
ベッドに寝転んでハリーポッターの本を読むことが楽しみです。
それと、もうすぐ中学生になるので携帯電話も買ってもらいました!

(一部略)

将来の夢は、カメラマンになって世界中を旅することです。
この夢を諦めずに一生懸命がんばってください!
二十歳になったからといって、お酒やビールを飲まないでよ!
元気でね!!


11歳の私   2002年2月19日。  身長146cm、体重31kg
今日はデニムと、うすいピンク色のトレーナーを着ています。覚えていますか?


この手紙を書いたことは覚えていた。
小学校6年生の担任の先生が保管してくれていて、成人式に合わせて送ってくれたのだ。

内容は幼いし、取り留めのないことしか書かれていない。(読んでいて恥ずかしい!!)
けれど8年も経つと想像以上に記憶は薄れている。
自分の部屋や携帯電話を買ってもらえて嬉しかった気持ちも忘れていた。

11歳の自分に今の私を報告したら、どんな顔をするのだろう。
「山に登ってるよ!」と言ったらビックリするのかな?
「もうテレホンカードなんて使わないなぁ。」って伝えたら悲しむだろうか?
「お酒飲むよ!」なんて伝えない方がいいかもしれない!

ただ一番強く思ったことは、過去の自分に恥ずかしくない生き方をしたい、ということ。
そして、世界中に行ってみたい!という夢を思い出した。

この手紙を書かせてくれ、8年も保管してくれていた先生に感謝している。

みなさんも30歳の自分にむけて手紙を書いてみてはいかがですか?
(私は恥ずかしくてできていませんが。)

51期 原田

『さよなら、オレンジ色のレンガ路』


皆さんは、気がつけばいつも一人でいる場所ってありますか?
目が覚めるとすでに日が高く昇っていて虚無感を感じながら過ごす午後、あるいは逆に、朝から遠出していてそのまま家に帰りたくない時―
そんな日には僕は東京駅周辺に足が向かいます。
そう、俗に丸の内と言われる一帯です。
疲れていても、気が滅入っていても、大手町駅の地上へ向かう60段もあろうかという階段 -たしかB2出口でしたっけ ― をのぼりながら街を見上げると、
これから起こりそうなことにわくわくしてきます。

200m超級のビルが立ち並ぶ新宿には迫力という面では恐らくかなわないでしょう。
また、日本一の規模と言われる大阪梅田の高層ビル群には数の上では到底及びません。
しかし、僕は最近そのような古い高層ビル群や無秩序に立ち並んだ高層ビル群よりも、洗練され、且つ、碁版の目の上に綺麗に並んだ高層ビル群に美しさを感じるようになってきました。
たとえ、その高さや数の上では劣っていてもです。
そして、丸の内はその美しさというものを体現した街だと思います。
(そうそう、言い忘れてましたが、僕の3本の指に入る趣味の中に高層ビルめぐりというものがあります)
 
大手町の永代通りから有楽町の晴海通りまで、歩くとわずか10分程の短い通りが丸の内の中核をなしている仲通りと呼ばれる通りです。
この10分という距離の中に、思わず足を止めたくなる都市としての美しさが凝縮されています。
古典的なデザインで統一されたビル、並木に沿ったレンガ路、ブランドショップがわきを連ねる都会的な雰囲気。
全て僕のお気に入りです。ちなみに僕は未だかつて、10分という時間でこの通りを歩ききったことはありません。

この街の最もきれいな時間、それは晴れた日の夏の午後でしょう。特に夕方には間接的に差し込む西日が通り全体をオレンジ色に染めあげます。
それが週末のんびりとした雰囲気だと更にいいですよね。二番目は雨の日の夜です。
濡れた車道のアスファルトの上にビルの明かりや、車の赤いテールライト、信号の色が映しだされます。他の街よりもどこか洗練された光です。
そのようなわけで、大手町で降りた瞬間に雨が降っていても、また、たとえずぶ濡れになってしまってもそんなに悪い気はしないんです。

そうそう、僕が丸の内へ初めて来たのは、受験生最後の日でした。もう4年も前になりますね。
早稲田の入試が終わり、そのまま夜に有楽町で受験の「一人打ち上げ」をやったあと、東京駅にある夜行バスの乗り場へ向かって歩いた時でした。
一人の女性に道を尋ねられたのを覚えています。
その時は「わるいけど僕もここの人間じゃないんだよ」というような言葉を返すしかありませんでした。僕は完全によそ者だったからです。
それから4年、当初は夢を持ってやってきた大都会で、「大阪か神戸どっち遊びに行くん?」というような会話が出来ないものかともどかしさを感じていた僕ですが、今では東京がすっかり好きになりました。

そして、この春から僕はまたいったん東京を離れます。
市民権を得た街を去るのは寂しいことです。それは誰だって同じです。再びよそ者に戻ってしまいますよね。
でも、いつか立派な大人になってまたここに戻って来たいです。
そして、その時にこの変化の激しい街が今とどのように違って自分の目に映るのかとても楽しみなんです。

51期 鎮守

『どうき』


大学生活もあと少し。
なぜ早稲田に入学したのか、なぜこのサークルに入ったのか。そんなことはとっくに忘れました。
でも大学生活に後悔があったかと聞かれたらすぐに思いつきません、おそらく後悔なんてないのでしょうね。
それは4年間をステキな仲間と過ごせたことが関係しているのだろうと思います。そんな私と一緒に過ごした同期を私なりに紹介したいと思います。

ごめす…51期の頼れるお兄さん。まじめで責任感があるに加え、相当面白い。努力は報われることを彼自身が体現しています。アツイところは持ち味です。幹部ありがとう、お疲れさまでした。

れいちゃん…企画に参加していないことがないと言っても過言ではない縁の下の力持ち。彼の様な人がいるからこそサークルがなりたっていると私は思っています。実はれいちゃんのファンです(笑)

花京院…岳文会とは木谷祐輔のことである、と言いたいくらいの51期の重鎮(笑)花京院の魅力が多すぎて語れません。でもそれはみなさんも知っているはず。こんな先輩いたら絶対崇めていると思います。

ゆうちゃん…大好きな酒友。山に対して真摯に取り組んでいる姿は、男みたいにかっこいいです。え、それ褒めてないって?でもゆうちゃんならこの言葉をわかってくれると思います。私はゆうちゃんの全てが好きです。

げか…同期随一のムードメーカー。外賀メシ食べてみたかったな…。一年の夏合宿で彼と一緒だったことは私にとって宝物のような思い出です。Officeの裏技をわかりやすく教えてくれてありがとう、覚えている?笑

まりえ…まりえみたいにずっとなりたかったです。なんてあんなに気配りができるのか、要領が良いのか、今でも謎のままです。いつか万里江みたいなステキなお姉さんに近づけるといいな…。尊敬しています。

しまずい…真面目担当。しまずいと何かすると安心して物事に取り組めます。静かそうに見えるけど、実は結構話し好きなところも彼の魅力だと思います。実は山に一緒に行ったことがなくてさみしいです。

しらいし…リーダーシップ・協調性・社交的、できる人間ってこういう人なのでしょうね。振り返ってみると彼が幹事長じゃなかったらどうなっていたのか想像できません。私と話すと気分がよくなかったことを謝ります、ごめんなさい。

たぐち…やっぱり面白い。彼の面白さは天賦の才だと思います。田口が居なかったら絶対岳文ってつまらなかったと思う、そんな51期の貴重な存在です。

みなみ…ドジっ子とよく言われるけど、本当に真面目な子なのだなとつくづく思わされます。みなみがいるといないでは私のモチベーションが違う、私の中では一番信頼している同期です。

ちんじゅ…私のone ofお気にいりです。彼と話すのがほんとに楽しくて、合宿2年間同じだったことは自慢です。これからもおすすめの本や音楽をみんなに発信していってね。

つむら…もう一人のone ofお気にいり全てが私は好きです(笑)つむらさんがいたからサークルやってこられたのかもしれません、つむらさんありがとう。卒業はしてね(笑)

ゆきちゃん…正直ここまでゆっちんと同じ人生を歩むと思っていませんでした。才色兼備って言葉が一番似合う女子だと思います。高校の頃からかわらないゆっちんのことがずっと大好きです。変化も大事ですが、変わらないってのも大切ですね!

ぜうす…名前の通り神ですね(笑)オシャレだし、勉強熱心だし…まさに全能!51期で一番かっこいいと思います。

まつもと…優しい・面白い・イケメソ。モテる男子No.1でしょうね。もっと話してみたかったな…としみじみ思います。帰国したら元気な顔を見せてください。

むらい…文武両道にたけているイケメン。彼の魅力はみなさんご存知の通り。第二の村井は現れるのか?笑 司法試験頑張ってね!

なおこ…私の彼女です(笑)直子なしでは私の大学人生は語れません。直子の純真が故での行動、みなさんわかってあげてください。今までありがとう、そしてこれからも私の人生に関わってね。

こんな同期と一緒に過ごせた私は罪深き人ですね。
迷惑沢山かけましたが、みんなのことが大好きです。今までありがとうございました、これからもよろしくね。

51期 石井

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『戦場』


岳文会は「居場所」として語られることがよくあるが、岳文会はそのように生ぬるい場所ではない。私にとって岳文会とは常に戦いの場であった。
1年目は魅力的な先輩方を同期にとられるのが許せなかった。同期が先輩方と仲良くしているのが悔しかった。
だから同期を仮想敵とみなし、同期の誰よりも岳文会に触れていようと思い、私は仮想敵との衝突が生じかねない一触即発の危険地帯へと足しげく通った。
2年目には戦況が少し変わった。後輩ができ、後輩を楽しませるということが戦いの勝利条件だった。
私はそのためならいくらでも酒につきあえたし、メーヤウの☆5だってペロリと平らげられた。何でもできるような気がしていた。
が、それは私の驕りにすぎなかった。終わりの見えない戦いに私の心身は疲弊し、悲鳴を上げていった。
何度も兵役引退を考えた。しかしそれでも私の体は戦地に赴いていた。私の生まれ持っての戦士の血がそうさせたのだろう。
3年目は指揮官としての立場となり、責任が重くなる一方で、戦略を立ててそれを指示し実行することに喜びを見出していた。
もちろん自らも最前線で戦った。2年間の経験の成果、実力が上がり、戦うことそのものが楽しかった。


そして今現在もなお私は戦地に赴いている。戦いの場こそが私の生きる場であり、居場所なのだろう。
だがしかし、そんな私の兵役もあとわずかだ。解放感もある反面少し物悲しい。最後に激しい死闘を繰り広げたいものである。


老兵は死なず、ただ去りゆくのみ


今後も君たちの武運を祈る。

51期 木谷

『東京』


私がまだ上京したてのおのぼりさんの頃、東京は地元と同じ位のレベルのものだと思っていた。
私の地元は買い物や食べ物屋さんにしても、私が普段行くレベルの所なら同じクオリティーのものが揃っていると言ってもよい。
東京ってこんなもんか、と正直思っていた。
しかし、最近、その考えが変わってきた。

やっぱり東京は何か違う。
例えば、グルメ番組で放送された店にすぐにでも行くことができる。
また、雑誌に載っている服屋さんで買い物することもできる。
これまで遠い遠い存在だったものが、すぐ近くにあるのだ。
きっと、ずっと関東に住んでいる人にはこの気持ちがわからないだろう。
しかし、こんなことは私だって大学1年の頃から知っていた。
ちょっと感動した程度であった。

やはり、この場所に何か特別なものを感じるのは、大学時代をここで過ごしたからだろう。
大切な友人達がこの地でできた。
大学の近くには良く行くご飯屋さんもできた。
様々な場所に出かけて行っては遊んだ。幾度となく馬場で飲んだ。
全て、東京での4年間中のことである。
まさに、住めば都ということを実感した。

4月から、私は東京を離れ、京都に移る。
いざ東京を離れることがわかると、逆にこれまで何ともなしに過ごしてきた東京の良さばかりに目が行くようになってしまった。
しかし、なくなるものねだりばかりも言ってられない。
数ヶ月後、京都も楽しいよ~と笑って言える自分がいたらいいなと願っている。

51期 谷口

『文章』


昔っからどうも苦手です。文章を書くのが。
特にテーマが何でもありな自由作文というやつ。
小学校では苦労しましたとも。
「適当に書く」っていうのがなんかよくわからないんですね。
しかしまさか大学生でも苦労することになるとは…

このサークルはなんか知らんけど
ちょくちょく文章を書かされるところです。
書くのが決まったらまずテーマを考えますが、
これだけで2,3日は余裕で悶々と過ぎていきます。
しかしテーマが決まってからはもっと大変です。
書き出しには相当な時間を書け、途中の文章も何度も入力しては消し…
そもそも大体の場合文章ってのは多くの場合他人に見られることが前提なわけです。
それを考え出すともう無理。
これを読んでみんなどんな顔をするのか?
感謝の気持ちとか書いちゃったけどこれちょっと恥ずかしくない!?
ここどや顔しながら受け狙いで書いたけど
よく読んだらすべってるんじゃねえかなぁああああああああああ!!
とか考え出すと顔は紅潮し意味もなく立ち上がり
頭を抱えて布団に飛び込みぐるぐる回りながら唸ったりします。
そんなこんなで叫びだしたい気持ちを必死に抑えつつ出来上がるころには空は白み始めております。
いよいよ提出という段になると5回くらい繰り返し読み直したりして
それでもなんとなくもやもやしながら勢いつけてえいってな感じで送信すると
ああ送信しちゃった!もう戻せない!行ってらっしゃい!もうどうにでもなれええええ!!!
という感じになるわけです。

毎回必死なんですよ。
だから広報さん。このコラム提出遅れたの許してくださいね。

51期 外賀

『言葉の壁』


先日、韓国旅行に行きました。
韓国語はほとんどわかりませんでしたが、一緒に行った友人に日本語の話せる韓国人の知り合いがいたので、その人の通訳のおかげでスムーズに過ごすことができました。

しかし、韓国語を話せなくても、観光地近辺では何とか食事をしたり、買い物をしたりすることができると思います。それぐらい韓国の人達は日本人に積極的で、一生懸命日本語で話しかけてきてくれました。
日本人に慣れている観光地だからかもしれないと思いましたが、観光地を離れた場所でも、ある程度の日本語を理解して話しかけてくれる人が多かったので、外国語を話そうとする意識の高さを実感しました。
これだけ話しかけてきてくれると、人見知りの自分でも調子に乗ってコミュニケーションを図ることができるので、韓国に対する好感度が一気に急上昇しました。

同じくその旅行中、インドネシア人の女性と話す機会がありました。
名前はアシュリーなのかアシュレーなのかよく聞き取れませんでしたが、少し控えめで日本の昭和女性のような雰囲気を持つ人でした。
言語は主に英語で話していて、日本語はあまりしゃべれないとか言いながらも、簡単な会話をするには十分すぎるほどの日本語力をもっていました。

一方の我々日本人サイドは、片言の英語を駆使して何とか会話をするものの結局は相手の日本語力に助けられて会話が成り立っている状態で、あまり話を弾ませることができませんでした。
もし同じ言語を話せたら、もっと仲良くなれていたかもしれないのにと思うと非常にもったいない限りです。

ただ満足に会話することができなくても、異なる国の人と話す経験はとても刺激的で、自分の興味の幅が広がるきっかけにもなるかもしれません。
これからも時間を見つけて色んな国でのコミュニケーションを図っていきたいと思います。

51期 島居

『これからもいっぱい山に登るぞ』


人生で一度だけ血尿が出たことがある。はじめて30kg近い荷物を背負い北アルプスに入った日のことだ。
僕は赤く染まった尿を見ながらなすすべなくトイレに立ち尽くしていた。

それから1年がたち、より重い荷物、そして責任を背負って山に入った。
山行前には風邪の影響もあって下痢に悩まされ、「ゲリーダー」という不名誉な称号を与えられたが遂に血尿は出さなかった。
山に登り続けた事で体がより強くなってきた証拠だと思う。今ならさらに重い荷物を背負わされても平気で山に入っていけるだろう。

山は成長を実感できる場所だ。前年にバテた所、怖くて足がすくんだ場所を今年は平気な顔で通過する。
班員の誰かがアクシデントに見舞われたとき、1年生の時には何もできなかった自分が積極的に指示を出してその場を切り抜ける。
成長を実感できる場面が多いことが山の一つの魅力だと思う。

実生活は山登りのようにはいかない。
成長したと思ってもそれは主観的なものでありなかなか目に見える形になっては表れてこない。
何か目標に向かって努力するにしてもそこまでのアプローチは登山道のように一本ではない。
地図を出しても自分がどこにいるのか分からないし、目標を達成したとしてもそこはピークではなく、道は上へ上へと続いていく。

しかしだからといって登っていくのを諦めるのは馬鹿だ。
小ピークを一つ一つ目指して、それを越えていけばいい。その過程は確実に自分を強くするし、さらに大きなピークを目指す基礎能力となる。
はっきりと認識できることは少ないけれどその人は確実に成長している。

そして登山道が一つではないということは、はかり知れない可能性があることだと思う。
人生の可能性は無限大。
既存の考え方に捉われすぎて踏み固められた登山道を下を向きながら延々と歩くのはあまりにももったいないことではないだろうか。

4年間、数多くの山に登ったが今となっては辛かった場面こそ思い出される。
男班での地獄の鳳凰三山、2時半起床で出発した大天井、はじめての単独行、村井とともに道を間違えた利尻岳。
いろいろあったけれど最高の思い出だ。苦労は買ってでもしろ、と言う。
血尿を出せとは言わないけれどみんなには多くの山に登ってほしい。
そしてたまには僕も誘ってね。てへぺろ(ゝω・)。

51期 松本

『四季』


春。出会の季節。新しい体験で包まれ、全てが新鮮に感じられた。

夏。激動の季節。様々に降りかかる困難の中でもがいた。

秋。豊穣の季節。今までの経験を活かし、新しい出会いに胸を躍らせた。

冬。辛抱の季節。新たな出発に向けて…

そんな4年間だったかもな。
また一緒に打って、歌って、投げて、飲んで、登って、そんで笑ってくださいな。




51期 白石

『新しい出会いを求めて』


よく3月は「別れの季節」と言われることがある。
卒業式が行われる時期も多くが3月だし、散り際に儚さを感じさせる桜が咲くのも3月という印象が強い
(今では桜が咲く時期は、ずれ込んでしまったが)。

では、3月が別れの時期ならば、4月は「出会いの季節」と言ったところか。
新しい場所、新しいバイト、新しい先輩、そして新しい友達…
初めての環境での、自分と違う価値観を持つ人間との出会いは、自分の世界を広げる大きなチャンスとなる。

そしてその一方で、価値観が違う以上、戸惑いも大きいだろうし、衝突もあるだろう。
相手にイライラすることもあるだろうし、自分の価値観を転向せざるを得ないときもあるだろう。
しかし、こうした「ヤマアラシのジレンマ」も、人生のいい経験である。

昔の悟りきった禅僧はいいことを言っている。
「日々是好日」―毎日毎日が素晴らしい―
結局人生とは、そんなものなのかも知れない。
戸惑いやぶつかり合いがあっても当然だ。逆に価値観がシンクロするのも良い。

いずれにしても、そして岳文会に入ろうが入るまいが、「新しい出会い」だけは大学デビューにあたって大切にしてほしい。
岳文会というサークルは、そのための環境を提供しているに過ぎないのだ。
そしてもし、新しい出会いを好機と逃さず、そこから何かしらの糧を得られたならば、それはきっと大学生活で困った時の手助けとなってくれるだろう。
まだまだ若い新入生のみんなには、これから明るく楽しい毎日が待っているのだから…。

ここまで書いて気がついたが、「別れ」の3月と「出会い」の4月はわずか1ヶ月しか違わないのだ。
散りゆく桜も4月だし、別れと出会いは紙一重だ。
まさに「諸行無常」―よし、ならば一層出会いを大切にしないといけないな。

54期 山口

『2年前の話』


まだ大学生になったばかりだった自分が居て、大学って所はどんな遊園地よりも訳の分からない非日常だった。
  きっと入学したばかりって誰でもそんなものだと思う。
知らない人ばかりで、校舎は広くて教室移動で迷ってみたり、その他色々訳分かんない事に遭遇する。
「ああ、非日常って疲れるなぁ・・・」

でもいずれ非日常は日常になる。
単調でつまんなくなって、投げ出したいなって思うかもしれない。一人なら・・・
そう、だからそんな日常でも共有して、つまんないことで笑いあったりする仲間が居たら、きっと楽しい。

新しいことばっかで、そんな先のことより流れに乗るので精一杯だった。
私は最初から山に登りたくて、ここを探し当てたけど、本当にただそれだけ。

とどのつまり何を言いたいかっていうと、好き嫌いも、未来の自分も、そんなの関係無いだろうってこと。
少しの興味と好奇心、それだけ持ってれば多分問題ない。
知らないなら、嫌いも好きも知らないと分からないし、先のこと考えすぎてもつまんないよ。
興味も好奇心も、知らない世界への不安を拭ってはくれないだろうけど、勇気を持って一歩踏み出すが吉。

ここの人達は、そんな2年前の私も暖かく迎え入れてくれて、今は私も迎え入れる側の一人になった。
自分がしてもらって嬉しかったことを、これから来るみんなにも更に2割増しぐらいで出来たらいいな。

だから待ってる。みんな待ってる。日常を、そして時々山という非日常を共有する新たな仲間を!

53期 杉下

『受け継がれし傳田の名を汚すわけにはいかぬ!ライド!』


こんにちは、傳田一雄起です。

新しい生活が始まるということで、自己紹介をすることも多いのではないでしょうか。
僕はこの時期、自己紹介をするのがとても面倒でした。
あまりいない名前なので、一回では正しく聞き取ってもらえないし、書いても読んでもらえないからです。
必ず「えっ?」と聞き返されるか間違った呼び方をされ、いちいち言い直したり訂正したりするのがとても嫌でした。
このコラムでも僕の名前を読めた人はほとんどいないのではないのでしょうか。

しかし、この名前自体が嫌いなわけではありません。
「名は体を表す」というように、名前は自分そのものだと思うからです。
自分のことを示す記号としての役割もそうなのですが、僕は名前を姓名判断でつけられたのもあって、名前は運や人格を決定するものでもあると思っています。
僕は今まで大きな失敗もなく人生を送ってくることができましたが、今の自分があるのは名前のおかげなのかな、と思うこともあります。
そう考えると、名前が今まで以上に大事なものに思えてきませんか?

名前はこれからも一生付き合っていくもので、また一生を決めるものでもあります。
それだけに、大切に扱わなければなりません。特に、自分の名前を正しく伝えることはとても重要です。
この先幾度となく自己紹介をすることはあると思いますが、そのときは自信を持って大きな声で名乗りましょう。

53期 傳田

『部室への招待』


本格的に暖かくなってきましたね。
ふと道端にたんぽぽが咲いているのを見かけるとなんだかほっこりしてしまいます。

最近は新入生を見るたびに去年の自分を思い出しています。
千葉でふわふわと生きてきた私にとって、早稲田大学の考えられないほどの人の多さと熱気に圧倒されるばかりだし、毎日のように笑顔で自己紹介をし、誰だかわからないアドレスは増える一方。
そんな落ち着きのない日々を、どうにか気を張って過ごしていたものの、やはりだんだんと疲れが溜まっていました。
そうしているうちに、サークル選びも本格化。
周りがサークルを決めたという話を聞くたびに、早く決めないと、と焦って新歓コンパなどに参加してはいましたが、毎回騒がしさに疲れてしまうばかりで、なかなか決められずにいました。

そんな私が初めて岳文会と出会ったのは、バイト先が同じ先輩の紹介で、ひとり部室を訪れた早慶戦間近の5月も終わりの頃でした。
いざドアを開けるとなると非常に緊張しましたが、入ってみるとマンガとゲームが散乱し、決してきれいとは言い難いその部室には、数人の先輩がまったりおしゃべりをしていて、なぜだか私は急にほっとさせられたのを覚えています。
そしてゆったり座って雑談し、詳しく説明も受けた私は、今までの迷いは何だったのかと思うほど即座に、帰りにはほぼ入会を決めていました。
もちろんアウトドアには興味がありましたし、岳文会の活動にはたくさん心惹かれるものがありました。
しかし、最終的な決断の決め手になったのは、この雰囲気なんとなくいいかも、という気持ちだったのかもしれません。そんなものなんですね、きっと。

今、かつての私と同じようにサークル選びで迷っている新入生のみなさん、どのサークルにせよ、勇気を出して自分からその雰囲気を確かめに行ってみてください。
きっとここかもというところがあるはず。まだまだ時間はありますから、ゆっくり考えて自分にあったところを見つけてください。
そしてもしあなたが少しでも岳文会に興味をもってくれているのなら、ぜひ岳文会の部室の扉を叩いてみてください。
もしかしたらガンダムに夢中になっている人や、マンガを読んでいる人、アイスを食べている人に出会うかもしれません。
あなたが誰に出会うにしても、岳文会の雰囲気を、なんとなくいいかも、と思ってもらえたら私は嬉しいです。

54期 間

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『5月特有の病気に着いて』


皆さんは5月病という病気をご存知ですか?
私は言葉だけは知っていたものの、実際の症状を目の当たりにしたのは大学にはいってからです。

この大学ではゴールデンウィーク明け頃から5月病発症者が続出し、4月の熱気はどこへやら、授業も生協も早稲田駅も・・・全体的に人数が減ります。
去年は震災の影響で春休みが長引いてしまったせいか、早大生の皆さんも5月病になるタイミングを少し逃してしまったようですが、おととしの人の減りようには、私が大学1年目なこともあってとても驚いたことを覚えています。
なるほどこれが大学生というものか~、と納得もしました(笑)

5月病は治療法の無い重い病気ですが、しかしこれが7月頃になると、校内は期末レポートや期末試験に追われて必死な人々でまた賑わい出します。
人が少なすぎて過ごしやすかった自習室やパソコン室も、席が足りなくなるくらいにパンパンになるので、これまた驚きです!

人生のうちでこんな現象を見られるのは今のうちだけだと思います。
こういった大学のうちでしか経験できないことをたくさん経験して、華の大学生活を精一杯楽しみましょうね!
・・・ってキレイにまとめたかったけど無理があったか~(;^ω^)笑

53期 渡邉

『GW(頑張った私)』


コラムを書いてくれと言われたが文才のない私には思い仕事だが、引き受けたからには頑張ろう。
ここ最近サークルで頑張ったことと言えば新歓やら名簿やらだ。特に新歓コンパでは人見知りの私のわりには一生懸命話した。
まあ、案の定歳相応に見られることはなかったのだが、特に気にしていない。OBと言われようが30と言われようが気にはしない。本当だぞ。
思えば中学の時に博物館でチケットを買いに行ったら、「大学生ですか?」と聞かれたし、高校の時に映画に行って学生証を忘れたと言ったらかなり疑われた。
去年の新歓ではビラを持っているのに声もかけられなかった。
逆に中学生で上野動物園に行っても小学生として無料で入れた。
だから個人的には年齢というものは気にしていない。というかあんま関係ないと思う。
もちろん年上を敬う気持ちは大事だが、いくつになっても大事なのは人間性だと思う。
今回名簿をやったが当然生年月日も書くわけである。私は正しく書いたからな。
むしろ名簿などで嫌なのは生年月日で星座が分かることだ。私の唯一悲しい自己紹介が星座だ。年より星座で驚かれる。
さて、ここで岳文会は登山サークルだということを今一度きちんと認識して欲しい。私達は夏合宿で北アルプスに行く。
今年のGWに北アルプスでの遭難事故があった。このことを決して他人事と考えないで欲しい。
決して脅すわけではない。しかし、今年は登山企画が何度も挫座しているから注意しておきたい。
安全に安心に登るためにも装備の手入れや実際に山に登る際の気構えなどに気を付けて欲しい。

54期 伊藤

『5月の桜』


5月の井の頭公園。池を取り囲むように植えられた桜の木も今では青々としている。新緑というにふさわしい、鮮やかで美しいそれ。花にも劣らない葉桜―それは君が好きな桜だった。

「桜の花って私あまり好きじゃない。だってすぐ散って汚くなっちゃうんだもん。」
初めて公園を2人で歩いた日。桜はたくさんに花をつけ、水面を花びらがうめていた。僕はこの公園の桜の花が好きだった。君はそんなそっけないことを言って、あのときばかりは無口な僕を困らせた。

「5月の桜が好き。花の季節みたいに、みんながじろじろ見ないだけ、きっと生き生き夢を見てる。」

例えるならば桜の花みたいだと思った。桜の花びら1つ1つが小さくこじんまりしているように、君はわざとらしく何かを主張したりすることはなかった。それでいて満開の桜に僕たちが抱くような感情を、君はその存在全体から発していた。人気者の君を、僕は自分でも気付かないままに好きになっていた。

ただ帰り道が同じだけの君と僕。それなのに君の笑顔で僕も自然と嫌なことを忘れられた。君の泣き顔はどうしようもなく僕を不安にした。君は決して僕のものではなかったが、僕はすでに君の中に生きていた。言葉を交わさずとも僕はただ公園を歩いているだけで良いと思えた。

1年が経ってまた春が来た。桜は今年も同じように花をつけた。いつもと同じように公園を歩く。後を歩く君はなんとなく元気がない。
ふと満開の木を見上げて君は言った。

「今年の桜、本当にきれいだったよね。やっぱり私、間違ってたね。」
僕は何も言わなかった。君の笑顔がどこか寂しげに見えた。

僕は何も分かっていなかった。間違いの意味も、君が見せた寂しげな横顔の理由も。

それ以来君と公園を歩くことはなかった。突然の転校なんてドラマだけにしてほしかった。僕は公園を通らなくなり、桜も嫌いになった。桜の季節は短かった。その終わりはあっけなく、はかないものだった。

君のことも、嫌い・・・になった。

最初は手紙でも書こうと思ったが、僕は返事がこないのではと思ってためらった。電話をかけても、話につまるのは嫌だった。幸い君のことは同級生から少なからず情報が入ってきた。すぐにとけ込んでうまくやっていること。通学には1時間かかって大変だということ。あっちでも陸上部に入り夢に向かい頑張っているということ。最近髪の毛を切ったらしいということ。

聞くたびに僕は胸が痛くなった。けれど僕は嬉しくも思った。君がいなくなったあとで初めてわかった。あの公園をもう一度一緒に歩くだけでいい。言葉じゃ伝え切れない思いだった。


5月の井の頭公園。君と出会ってから3度の春が過ぎた。僕は1人、久しぶりに池の淵を歩いた。桜の木はすっかり青々しくなっている。この間、夏休みに君が遊びに来る話を聞いた。果たして僕のことを覚えているだろうか。

君が立ち止まったあの桜の木を見上げて、僕ははっきりと思った。間違っていたのは僕のほうだった。5月の桜は僕が思うよりもずっと生き生きとしていた。そればかりか大きな夢を抱いてさわやかな風に揺れていた。そしてそれは何より、君そのものだった。

つまずいて立ち止まっていたのは僕だけだった。僕はやっと乗り越えることができた。少々長い道のりだったが、今は見えない君の姿が、僕の背中を押してくれた。そしてただ、僕は君にはもう会わないのだと思った。

ふと池のむこう岸で君がこっちを向いて笑っているような気がした。君が何も言わなくても、それが僕にしか分からない笑顔だと僕はもう知っていた。そして、きっと僕の知らないどこか遠くの場所で、君は今でも笑ってる。

54期 清野

『マコトの生き方』


先日、所属している某法律サークルの活動を通じて、ハンセン病の元患者さん達と話す機会がありました。
ハンセン病の患者さんは、特にその皮膚がただれたような外見から、差別されてきました。
1996年まで国により療養所に強制隔離され、非人道的扱いを受けていたことは悲しい事実です。

彼らに療養所内での生活について尋ねると、想像していたものとは全く違う答えが返ってきました。
元患者さんの殆どが、療養所内での暴行や強制労働については「そんなこともあったねぇ、あれはちょっと酷いよねぇ」と、まるで大した事なかったかのように話すのです。
多くの報道では患者さんへの虐待が問題視されていたので、それが一番辛かった経験だろうと思っていた自分には非常に驚きでした。

上とは違い、元患者さんが決まって涙をボロボロ流して話すことが2つありました。
それは隔離施設内では勉強がしたくてもできなかったことと、幼い頃に親元から無理やり離された時のことでした。
最初は元患者さんたちの予想外の反応に驚きましたが、よく考えてみると確かにそうだなと思えました。

人間にとって一番辛いことは、自分がしたいことをして、自分らしくあることを禁止されることなのです。
ハンセン病の元患者さんとの出会いは、自分らしく生きるということについて考えさせられるものでした。

このコラムを読んでいる自由なはずの皆さん。
皆さんは自分が本当にしたいことをしていますか?
自分らしく生きていますか?

54期小野

『中二回顧録』


“彼”と最後に会ったのは6年前の12月、彼がイギリスに旅立つ数日前だった。僕はそのとき14歳で、世界最強(笑)のラッパーかDJになるのが夢の中学2年生だった。口を開けば韻を踏んでいたことは秘密だ。今考えると中二病だったのは間違いない。

とにもかくにも僕は今年の5月の終わりに彼に会うことにした。というのも、昨年秋に彼が帰ってきたという噂を、中学の同級生のA君が失踪したという話とともに聞いていたからだ。噂の真偽が気になっていたけれど、これまできっかけを作る気になれなかった。

当時僕は特に仲の良かった4人でつるんでいる事が多かった。コラムという活力を得た僕は東京にいる二人に連絡を取り、うち一人(友人K)とともに噂を検証することにした。

彼には妹がいた。僕らはまず、日本に帰ってきて母校の中学に通っていると噂される彼女に会うことにした。決して下心があったわけではないことを強調しておく。目的を達成するにはまず外堀を埋めていかねばならないのだ。母校の前は滑走路を思わせる直線の広い通りで、僕らはその道路を歩きながら正面にそびえる校舎を見据えていた。

近づくにつれて校舎内に殆ど人がいない事を直感した。門は開いていたが人影は無かった。一瞬躊躇したけれど、わざわざきたのだからと結局入ることにした。中は薄暗く、夕日を受けて光を散乱させる砂埃が放課後の雰囲気を醸し出していた。

一通り観察した所で、本来ならばまず事務室を通すべきだと気がついた。でなければいくら外堀うんぬんと戦術をうそぶいたところで、JC目当ての変態と思われるのが関の山だ。JCを探してはいるが変態ではないのだ。事務室に向かうと一応人がいて、卒業生だというと思ったより丁寧に応対してくれた。話によるとテスト期間中だから生徒がいないのだという。かつての担任の名前を出してみたが、やはりもう現在はいないとのことだった。

落胆しつつ僕は中学から徒歩2分の昔の自宅の近くにある「いちご橋」へ行った。そこからは夕日とともに西部多摩川線の姿を見られた。改築して様変わりした母校と比べて、なぜかほっとした。それは僕が幼子のときから見ていた景色で、しばらくその光景に見入っていた。ひどくぼんやりした頭の中で、14歳のときにこの橋の上で警官に職質されたことを急に思い出しむかむかしてきたときに、Kの提案が僕を救った。
「今の僕らにはアルコールが必要だ。そうは思わないかい?」

成り行きで僕らは近くの公民館のそばの小さな公園で飲んだ。酔いが回って2人で騒いでいると遊んでいた小学生が逃げるようにして帰っていった。僕らの周りには沢山の缶が転がっていた。

アルコールの力で阿呆の完全体と化したぼくらは、妹に会えなかったことをものともせず“彼”の家へ足取りを速めた。冷静に考えて酒を飲んだのは失敗だった。我々は息を潜めながら彼の家の前に到着した。そうして僕は、Kがインターホンを猛烈な速さで連打するのをただ黙ってみていた。僕はどういうわけか中学校の授業の合間の休み時間のことを思い出した。仲の良かった4人は授業が終わると理由も無くトイレに行って話していた。時には窓からメグミルクのストローの袋を飛ばしたりトイレの水洗ボタンを連打したりして遊んでいた。そのころの僕らはどうにかしてトイレの水を溢れさせることに躍起になっていた。
「やっぱり一人で2つのボタンを連打するのは限界じゃないかな」とKが言った。
「姿勢が良くないんだよ。押すときはもっと腰を落として体重をボタンに預けないと」と僕は言う。すると“彼”は
「とりあえず校庭から砂利を持ってきたぜ。これを便器にいれれば
                          「どちらさまですか」
と物凄く不機嫌な声が耳に入ってきた。

えっ、と思わず僕は聞き返した。それが6年越しの彼との再会だった。
家に彼以外はいなかったらしい。すんなり僕らを思い出してくれたことがうれしかった。
その日は3人で色々なことを語り合った。そして、また会おうと言って別れた。

彼がすぐに日本を出たことを知ったのはそれから1週間もしないうちのことだった。事情はよく分からないが彼の帰国は一時的なもので日本に帰ってくる保証もないらしい。
それを知ったとき、彼に会えたことは本当に幸運だったのだと気づいた。確かに物事にはタイミングというものがある。しかしそれをいつまでも待っていて知らないうちに好機を逃すことのほうが遥かに恐ろしいことだ。人は言い訳をする。仕方の無いことだ。でも、言い訳する前にその理由が正当なものかどうか考える癖をつければ、行動できるはずだ。

今回は偶然タイミングが良かった。僕の行動力のおかげ…と言いたいけれど、コラムが無ければこのタイミングで会うことも無かった。
神広報様ありがとうございます。

54期黒田

『お洋服のお話』

最近、というか高3くらいの時から私はユニセックスファッションというものに憧れてます。

ユニセックス(unisex)というのは「単一性、同一性」ということで、要するに中性的であることを意味してます。
つまりはちょっと女の子っぽく見えなくもない服装がいいと言っておるのです。へ、変態だー!

というかですね、より正確に言いますと、私はキメキメの英字Tシャツとか、男性向けファッション誌に載っているような、いかにも「どうだ俺イケメンだろぉ~?」って感じの服が苦手なんですよね。ぶっちゃけ嫌いです。
個人的にはレディース着るよりアレ着る方が恥ずかしいです(英字Tシャツなんて文法めちゃくちゃで外人が見たら爆笑もんですよ)。シンプルな方が良いに決まってる!
だからと言ってメンズでシンプルなものを選ぼうとすると…何というか…こう…ね。

というわけでシンプルながらもちょっと華のあるユニセックスって素晴らしいじゃん!という結論に至る訳であります。

はてさて、しかしいざユニセックスを始めてみると案外難しいもんです。
男がユニセックスやるってなると当然レディースに手を出すことになる訳ですがもうここからして難しい。チキンな私はちょっと手に取るだけでも周りの目が…ね。
何とかそこを耐えて次は試着してみるわけですが、試着してみると自分でも「うわぁ…」ってなることが多いです。

案外中性的な服ってなくて、シンプルでいい感じな服でも実際に着てみるときわどかったりするんですよ(でも結局買う時は買う)。
たまーに私がそれっぽい服着てたら「あ、買い物ちょっとミスったんだナー」みたいな感じで生暖かい目で見てやってください。
ちなみに最近、気に入った服を試着したらLサイズなのに小さくてどういう事だろうと思ったらレディースだったでござるってことがありました。バストでサイズ分けされてました。あはは…

コラムのネタが思いつかずだらだらとここまで書いてきましたが、せめて私がレディースを着るのは決してやましい理由からではないという事だけでも伝わればいいなと思います。
…女装癖?だからないってば!

54期 侯
『笑顔が一番!』

僕が中学高校と一貫校の男子校を卒業して、一浪して、早稲田に入学したのが三年前である。
僕は今四年生になってしまったけれど、ピカッピカのいっち年生だった時があったのである。
その一年生の時、Fという同期の男がいた。
岳文会の企画でテントの中に一緒に泊り、語り合った時。
僕は彼に「もっと社会知れよ」と言われた。

僕は世間知らずだった。
当時バイトの経験もなく、男子校というある種温室のような環境で過ごしてきたこともあり、彼からしたら社会を知らないボンボンであったのだろう。

三年経って、ちょっとは社会を知ることができただろうか。
サークルやアルバイトを通じて、社会をちょっとだけ垣間見ることができた。
僕はほんの一つの事だけを学んだのだ。
笑顔が一番大事なのだ。
笑顔を浮かべることで、人に安心感を与えることも大事だけど、自分の心に余裕が出来る。
わりと何事も形から入ってみるもので、顔が笑ってると心も笑える。
だから、余裕が無い時でも大変な時でも笑っていよう。
大学生活三年間で、勉強できたことはこれくらいでしょうか。

本編はここまで。以下は本心である。

とりあえず笑っておけばどうにかなる。
意図的に怒るのも、意図的に泣くのも難しいけど、心にも無い笑顔を浮かべるのは案外簡単。簡単なのは大事。難しいことはとっさに出来ない。
自分の心中を一番隠せる表情は笑顔だし、見る相手に心証が良いのも笑顔だ。
とりあえず笑っておこう。どんな時でも、それを心がければもうちょっと人生を送るのを楽にできると、僕は思う。

この文章を見て、他の人が笑っているのを見てちょっと不安になる人が、いるかもしれない。

ザッマァアアアアアアアアアアアアアアwwwwwwwwwwwザマァ見ろwwww
俺は毎日不安なんだよwwww人が笑ってるのを見てwwww疑心暗鬼なんだよwwww

ちょっとだけでも他人にこの気持をおすそわけできたと思うと、胸のつかえがは取れる思いがします。

それでは。

52期 瀬川
『俺が授業より大切な事を教えてやるぜ…』

『学園ハンサム』というゲームを知っているだろうか。玄人向けのBLゲームである。
いや、玄人向けというには少々の語弊があるかもしれない。別にホモが好きでなくとも見れるし、18禁展開というものも有り得ない。事前の知識というものも求められないし、ストーリーも大筋は癖がなく取っ付きやすい。
ただ、それはシリアスな笑いを届けてくれるのみだ。

学園ハンサムのメイン攻略キャラクターは5人いる。ツンデレの生徒会長、妙に滑舌の悪い幼馴染、サンバを踊り狂う担任の先生、魔法少女(男)の転校生、そして顎で人を殺す先輩。その他、セーブ厨の校長先生と男の娘の弟も隠し攻略キャラクターとなっている。
このキャラクターだけで学園ハンサムに興味を持った人も少なくないだろう。だがこれだけではない。
学園ハンサムの真の面白さは、その予想できない超展開ストーリーにある。

出だしこそ主人公が転校生として新たな学校に転入し、幼馴染と再会するというオーソドックスなものだが、ゆっくりと少しずつ、しかし突然に奇異な展開を目の当たりにすることになる。
幼馴染はカロリーメイトが好きすぎてカロリーメイトになるし、転校生は突然ゲド戦記をディスり始めるし、先生は乳首の部分だけ開いた服を着ているし、サッカー部の先輩は顎で人を殺す。
な、何を言ってるのか分からねーと思うが、私も何を見たのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…作図崩壊だとか超展開だとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
そう、作図も神がかっている。基本的にキャラクターは全員AGOなのだが、たまに本当にイケメンになる。おっさんになったりもする。要潤も顔だけでてくる。
OPがニコニコ動画やyou tubeにも動画が上がっているので是非見て欲しいのだが、「顎、顎、乳首、顎」の件は見た者の腹筋を崩壊させること間違いなしだろう。

くれぐれも気を付けて欲しいのは、これを単なるBLゲームだと思って欲しくないと言うことだ。
友情、孤独、そして狂気を孕んだこのゲームは、最早単なるBLというジャンルに収まりきれない。
下手をすると攻略キャラクター同士が結婚してしまったり、かと思えば主人公と要潤が結婚してしまったりするこのゲームは、人生のなんたるかまで教えてくれる。
"男同士"という根本まで忘れ、ただただ予想できないストーリーに引き込まれること間違いなしだろう。

そんな学園ハンサムは公式HPから現在もダウンロード販売している。価格もリーズナブルなので、興味の湧いた方は体験版から試してみてはいかがだろうか。ちなみに私は未プレイである。

手前どんだけホモが
ライフワークなんだ
ふざけんな
自重しろ

そんな声が聞こえてきますね。
しません。

54期 福田
『私の正装』

夏合宿も終わってこれから季節は秋へと移っていきます。
秋といえばスポーツ、読書、食べ物・・・色々ありますが、私にとっては「スウェットの秋」なんです。
ってことで今回はスウェットの素晴らしさについて軽く話したいと思います。

スウェットの素晴らしさのひとつはなんといっても履き心地のよさですね。
オールをしても窮屈にならずにむれない。暑くなったら少し下げれば問題ない。
ジーンズなどを下げるのは無理だし、下げても露出癖のある変態と思われてしまいますがスウェットなら大丈夫。街中にスウェットを下げている人はいっぱいいますね。

次のメリットがどこへでも着ていけるということ。
登山などの運動から近所へ買い物に行くときまで、スウェットがあれば世界中どこへでもいけます。
ちなみに僕の友人は友達のお父様の葬式にもスウェットで来ていました。
これにはさすがの私もドン引きでした。

これでスウェットのよさが少しはわかっていただけたでしょうか。
わかったならあなたも明日から立派なスウェッターです。
早速近所のしまむらにいって自分だけのスウェットを見つけましょう。
そのとき一緒にキティサン(キティちゃんサンダル)も買うといいかもしれません。
私はすでに金色のを持ってますよ。

54期 吉村
『メガネが曇る』

寒さも厳しくなってきました。ウイルスや風邪が流行る季節ですね。電車の中などではマスクをつけている人が増えています。

みなさんがマスクをつける時はどんな時でしょうか。人にばい菌を移したくないから、ばい菌をもらいたくないから、花粉症だから、寝坊して化粧をしていないから、息が酒臭いからなどいろいろあると思います。
しかし、こういったことが日本特有の文化だと知っていますか。
欧米では、公共の場でマスクをしていると不審がられることがあるそうです。
よほどの病気か顔を隠したいためにつけていると思われるらしく、マスクをした日経の記者が記者会見の会場に入れてもらえなかったことが記事になっていました。マスクの地位が低いのが残念です。

特にアジア人は、顔全体ではなく目で人の表情を判断するため、口元を隠すことに抵抗がないのかもしれません。アニメやメイクのしかたを見ても、目が重要視されていることがわかります。「目が笑っていない」などとも言います。
欧米の顔文字 :):O:P は主に口で変化がつけられているため、口元が表情を察する重要なポイントの一つになっていることが伺いしれます。マスクで口元が隠れると不審に思われるのはこのためではないでしょうか。

豚インフルエンザの流行のあとは多少一般的になったものの、欧米では空気感染の予防という考えが浸透していません。
マスク文化は日中韓東南アジアに留まっています。今台湾やベトナムでは、排気ガスや防塵、日よけのためのマスクが流行しているそうです。
ベトナムに旅行した時は、かわいい柄つきのガーゼマスクがそこかしこの店に並んでいるのに驚きました。
しかし日本のマスク文化は、咳などで人に風邪を移さないようにという日本人的な配慮や、顔をほとんど隠していても怪しまれないような治安のよさの賜物であると言えます。

マスクは日本人の誇りです。みなさんも身に付けてみてはいかがでしょうか。
55期 小川
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『あきらめが肝心、だけど…』

あきらめないことが美徳とされているこの国においては、あきらめることに何か後ろめたさを感じずにはいられない。例えば、私の所属していた中学・高校時代の部活動。毎年何人もの部員が去っているような
割と厳しい部活であったが、最後まで続けた部員の中でも、辞めることに後ろめたさを感じてそのまま所属していた者は、私の聞く限りでは少なくない。自覚のないだけで、私もその類いかもしれない。

何かをあきらめることは、あきらめずに続けることと同等、もしくはそれ以上に気力や覚悟がいる。
先ほどの例でいえば、部活を辞めた人間の中には、その後の学校生活において部員と顔を合わせることにためらいを感じる者もいるだろう。 ひょっとしたら辞めたことを後悔している者もいるのかもしれない。
後ろめたさやためらいを感じるくらいならば、あきらめなければよいのでは、と考える人もいるだろう。

だけど、私たちは“あきらめ”を経験しないわけにはいかない。「今日は寝不足だから大学に行くのをやめよう」、「いろいろ疲れたから大学をやめよう」。ほら、学生生活の中にも小さな“あきらめ”は無数に存在する。私たちは、常に何かをあきらめているのではないだろうか。
何かをあきらめないといけない、けれども後ろめたさは感じたくない。そんな“あきらめ”方はどのようなものなのか。

それは、自分自身の“あきらめ”という選択に納得することだ。ちょっとでも納得していなければ、たちまち後悔の念に駆られるだろう。
まずはあきらめないように努力すべきである。だらだらと続けるのではなく、あきらめないで済むようにあがく。あくまで、“あきらめ”は最終手段である。

そして、それでもダメなとき、自分自身の限界を悟ったときに、妙に納得した“あきらめ”ができるはずだ。
ただ、その限界の線引きは難しい。自分を過小評価して限界を作ってしまっても消化不良、まだまだいけると思っていたら取り返しのつかない状態になっていたりする。
「もっと続けてればなぁ」、「あそこでやめとけばよかったのに…」ギャンブル性の強い選択である。

個人的には、限界を悟ってもそのまま続けてしまいそうな気がする。そんな負けず嫌いな性格だから、引き際を見誤ってしまうことが多いのかもしれない。この性格は直せそうもないし、直そうとも思わない。

皆さんはどうでしょうか。
52期 蜂谷
『卒論』

「今何字くらい書いた?」「先生からの添削、届いた?」「お前、もう書き終わったの?」年の瀬が迫り、周りでこんな会話が聞こえてきます。
この時期、卒論提出が義務付けられている学部生は、就活以来の学生生活における難関に立ち向かわねばなりません。卒論に対して「卒業するために書く、レポートに毛が生えたもの」とか「卒業一ヶ月位前から書き始めれば大丈夫でしょ」のような考えを持つ人がいますが、それはトンデモナイ間違いです。
卒論とは、4年間の大学生活で培った文章力や分析力、社会人として備わっておかなければならない思考能力などなど、様々な能力を試される社会人になるための通過儀礼と考えたほうがいいでしょう。そこで今回は、私自身の卒論経験を踏まえつつ、卒論を書くことの大変さと楽しさを伝えたいと思います。

私が、卒論のテーマを決めたのは2011年の12月です。テーマ決めのために、先生や助手さんと何度も相談して決めました。12月にテーマが決まったのは、ゼミ内でかなり早い方でした。テーマは、「温帯二次林の更新特性」。テーマのみ見たら、何の研究かわかりませんが、「里山の森林が放置されることで、その後どのように森林の生態系が変化するか」という研究です。

具体的な調査などは、4月からはじめました。森林内に調査地を設け、高さ10cmに満たない稚樹に一つ一つ番号を付けていきました。
生態学の調査は、植物が成長する春から夏にかけて集中して行います。そのため、夏は蚊の攻撃にさらされ、それを防ごうと長袖2枚着用。さらに上高地にもいる足の長い蜘蛛は、気づけば頭の上に鼻先に。調査地を動物にあらされる。秋が近づくと、毛虫の大群が地面を這う。常に屈んだ姿勢から来る、腰への負担。周りに人気がなく、枝やドングリが落ちる音にビクビク。たまに人が近づくとそれにもビクビク。音楽を聞こうとイヤホンをつけると周りの物音が聞こえず、逆に落ち付かない。体力よりも、精神的に疲れる研究でした。

しかし、収集した膨大なデータを整理し、一つの傾向が見えてきたときは、心から研究活動の楽しさを実感しました。調査をはじめる前に結果について、予測を立ててはいました。予想通りの部分もあれば、当然予想外の結果も得られました。結果が得られれば、それを文章にまとめなければなりません。図表の見せ方や作り方にも気を使います。さらに発表会のためのパワポ作成もこれからです。

4年間の大学生活は、もちろん勉学だけではないです。「今まで、授業レポートなんて、本気で書いたことなんてない。」という人も「卒論を書く時間があるなら、人生の夏休みを遊びまくる。」なんていう人も、是非卒論を書くという事を一度真剣に考えてみてください。
卒論提出がない学部や提出が義務でない学部もあるでしょう。もしあなたが卒論を書くチャンスを与えられているならば、それは恵まれていると思ってください。
卒論に関係する一連の作業は、会社での資料作りで必要なこと。それを実践で学ぶことができます。完成した後に振り返れば、とてもいい思い出になります。

2013年1発目のコラムということで、少し真面目なテーマにしました。これを読んで、皆さんが卒論を書くというイメージを少しでも具体的に持ってくれたらと思います。

 52期 武井
『かわいいおじいちゃん』

年を取ると人生に余裕がでてくるからでしょうか、世の中には思わず微笑んでしまうほどかわいいおじいちゃんが
たくさんいるものです。

街に出れば道でお店で、ふとかわいいおじいちゃんと出会うことができます。私は普段からかわいいおじいちゃんとの出会いを見逃さないよう注意して生活していますので、今までもたくさんの素敵なおじいちゃんに出会ってきました。

この間は初詣に浅草へ行ったところ、新年早々素敵な出会いがありました。初詣を終えてお昼ごはんのお店を探し歩いていると、何やら楽しげなバンドの演奏が聞こえてきます。お正月らしく、皆さんも耳にしたことがあるであろう「一月一日」を演奏している模様です。音につられて細い道を入っていくと、昼からバーの前でベテランの方々によるバンド演奏が行われているところに遭遇。ギターは60代ほどの女性、ドラム、トランペットはダンディーなおじいさまが演奏しています。バンドの周りには10人ほどの人だかりで、おそらく近所のおじいちゃんとおぼしき方からバーの常連さんらしき方など、おじいちゃんがほとんどでした。みなさん思い思いに手拍子をしたり体を揺らしたりして、なんともいい雰囲気です。わたしも雰囲気につられてその輪にに加わって手拍子をしてみました。すると私のとなりにいたおじいちゃんが小さく「一月一日」を口ずさんみ始めました。それに続くように聞いていた人たちがだんだんと歌い始めて、バンド演奏の伴奏にのせておじいちゃん合唱団が即興で結成。私は歌詞が分からなかったのでもっぱら手拍子担当でしたが、そこにいた人たちでちょっとした連帯感が生まれています。みんなにこにこして一生懸命に歌っています。演奏が終わるとその場は大きな拍手で包まれました。優しい時間がそこには流れていて、私の気持ちをあったかくしてくれたのでした。

次の日は、父方のおじいちゃんおばあちゃんのお家に里帰り。夜は楽しく家族団らんをして、夜中に床につきました。次の日の明け方。まだ外は暗いのに、おじいちゃんが階段を上ってくる音で目が覚めました。どうやらおじいちゃんは飼い犬チャッピーの散歩に出かけるようで、お正月なのに朝から偉いな、寒いだろうな、などと私は布団の中でうとうとしながら考えていました。するとどこかで聞いたようなあのメロディーが。

そう、おじいちゃんは昨日浅草でみんなで歌った「一月一日」を口ずさんでいたのです。

「とーしの はーじめの ためしーとてー♪ チャッピー散歩行くぞ〜」・・・ 

あーこんな近くにかわいいおじいちゃんみつけた!
私は布団の中でにんまりして、あたたかさとともに再び眠りに落ちてゆくのでした。

 52期 吉原
『正義の味方』

小学校低学年の時は、ほとんどの男子の憧れでした。
小学校高学年の時は、幼稚でダサいといった扱いで、毎週かかさずテレビで視聴し続けていたことを隠していたように思います。
中学・高校生の時は、部活やら何やらで忙しくなり、それでも生で見れなくともビデオで録画したりして、週刊少年ジャンプとともに毎週のささやかな楽しみでした。

僕は、小さい頃からずっと正義の味方になることが夢でした。その中でも特に仮面ライダーが大好きで、憧れでした。人々に恐怖をばらまく悪に対して、自分のことは一番後回しで立ち向かっていくヒーローの姿のなんとかっこいいことか!!!その憧れは尾を引いて、実は仕事選びのきっかけの一つにまでなってたりもします。(笑

20歳への自分の手紙には、「仮面ライダーになれましたか。」なんて書かれていました。きっと当時は友達にばれてからかわれないように、こっそり書いて提出したんだろうなーと今では微笑ましく思います。仮面ライダーには非常に残念ながらなれなかったけれど、代わりに幸いながら他人の為に働く仕事に就けたので、そのフィールドで当時の小学生だった僕の目に恥じない社会人でありたいなーなんて思います。

僕がコラムを書くのは、卒業前にして実は4年間で初めてです。とりあえず新年なので、上記のそれらしい抱負のようなものを述べておけば及第点を頂けるでしょうか。(笑)改めまして皆さんのますますの御多幸をお祈り申し上げて、結びの言葉に代えさせていただきます。

 52期 小林
『愛ヲ送ル日』

2月。まだまだ寒いけれども、春の予感がただよう季節。
私には、毎年思いだす事がある。

相手はH君という同じクラスの男の子だった。
どこに魅かれたのか、もうはっきりとは覚えていない。
でも、その年頃の元気でやんちゃな男の子たちの中で、H君は少しだけ大人びていた。時折見せる笑顔は誰よりも輝いていて、気がつくとその笑顔が四六時中頭を離れなくなっていた。

普段はイベントなんて無頓着な私だが、この日だけは別だった。
「部活の友達にあげるの」―たしか親にはそんな風に言い訳した気がする。
その日の前日、私は自分の料理の実力を考慮し、わざわざネットで「簡単」レシピを検索したのにも関わらず、実に7時間もかけてチョコレートを作った。そんなに時間がかかったのは、ただ不器用さ故ではない、と思う。

次の日、吹奏楽部の朝練が終わると、私は急いで教室に向かった。登校する生徒もまだまばらな時間だったが、H君はいつも登校が早く、その日も既に教室にいた。
私は部活の友達に頼んで、H君を廊下に呼び出してもらった。(教室には他の生徒は殆どいなかったので、教室で普通に渡せば良いのだが、私は「友達に呼び出してもらう」というシチュエーションを外せなかったんだと思う。笑)

「あの、これ、受け取って下さい。」
「あ、ありがとう」

たったこれだけである。私は回れ右して教室に走った。箱の中には手紙さえ入れなかった。
その後は、同じクラスにいながらも目すら合わせられず、数カ月後にはクラスも離れてしまった。
今では、どこで何をしているのか全く分からない。勿論H君に対してあの頃のような特別な感情は無い。しかし今でもこの季節になると、あの子がどこかで幸せにしているといいなぁ、そんな風に思う。

だから今、パソコンにはり付いてるそこのLadies, just do it!
…なんてね。

 52期 齋藤
『今あなたに伝えたい』

学部入学式の日に祖父が亡くなった。大切な人を失くしてスタートした大学生活だったから、他の新入生のようにはどこか浮かれきれないでいた。もちろんサークル選びなんて全く頭になかった。

しかし同じクラスだった同期から、思いかけず誘われて行った新歓コンパがきっかけで入った岳文会で、私は大学生活の大部分を過ごした。
たくさん飲んだ、お酒。ガヤが楽しかった、定例会。くさくて重かった、テント。「約15キロの荷物を背負って3000メートル級の北アルプスに登っていました(キリッ」夏合宿。クリスマスやバレンタインのスキー。もし岳文会での時間の記憶をなくしたら、私の大学生活の思い出はほとんど空っぽになるんじゃないだろうか。

100人規模のサークルを維持していくのは一筋縄ではいかない。でも、岳文会という人と人との結び目があったからこそ、これを読んでくれているあなたに会えた。この結び目があったから、そしてこれからもあるから、あなたとつながっていられる。この時・この場所であなたに会えたことに、本当に感謝している。
私は、この先もずっと岳文会という結び目が、酒・山・人が好きな優しい人達をここ早稲田で巡り合わせてくれることを願ってやまない。4年間、本当にありがとう。

 52期 春日
『四男』

四男は、一男に似ている。
彼らはいかなる枷によっても縛られない。

四男は、二男に似ている。
彼らはしばしば先輩や後輩でなく、同期と共に居る事を好む。

四男は、三男に似ている。
彼らは密かにモテを狙っている。

四男は、四女に似ている。
彼らは暇であるが故にサークルを離れる。

四男は、三女に似ている。
彼らは後輩を見て、若さを羨ましがる。

四男は、二女に似ている。
彼らは気付いていないが、今が最も力に満ちている。

四男は、一女に似ている。
彼らの寿命は実に短い。

 52期 高寺
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