早稲田大学公認登山サークル 岳文会

コラムバックナンバー
2011年度コラム
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『What's 一人っ子?』


"ねーねーお母さん、どうしてぼくには兄弟がいないの?"
"ねーねーお母さん、弟がほしいよー"

僕は4歳くらいから、母親にこんなことを言っていた。
母親は困ったような表情で、「家にはお金がないのよ」と言った。
僕がその言葉の意味が理解できたのは、10歳を過ぎてからだった。

そう、家族構成は父母長男の核家族。僕は一人っ子としてこの世に生を受けたのです。
皆さんが思う、「一人っ子」へのイメージはどんな感じでしょうか。
経験上では、「食べ物とかテレビを独り占めできて羨ましい」とか、「自分ひとりの時間がたっぷりあって羨ましい」とか、「部屋が広そう」とか、「お金いっぱい使えそう」とかよく言われます。あと、言わないだけで、「わがまま」とか「争い事が苦手」とか「過保護」とか「我慢が苦手」とか思われているかもしれません。

「俺のターン! ドロー! ブラッド・ヴォルスを召還! カードを一枚伏せ、ターンエンド!」
「俺のターン! ドロー! 魔法カード、心変わり! ブラッド・ヴォルスを奪って、生贄に捧げ…デーモンの召還を召還! そしてダイレクトアタック!」
「フッ!! 無駄だ! 罠カード、魔法の筒!! 攻撃を跳ね返すぜ!!」
「ぐあああああああああああああああああああ!!!」

…セリフを言ってるのは全て僕です。一人っ子たるもの、カードゲームの相手がいなくても一人二役で決闘(デュエル)をたしなむのです。
一部のゲームもCPU戦をしすぎて、行動パターンが読めてしまうまでになりました。どのくらいかというとレンタルポケモンだけでポケモンスタジアムを完全クリアするくらい。
最近気づいたんですけど、一人っ子は、「一人っ子であること」より、「家での遊び相手がいないこと」の方が深刻だと思います。実のところ、小中時代はそれほど友達がいなかったので、家でゲームしたりマンガを読んだりする時間の方が圧倒的に多かったのです。そのゲームも、テレビゲームの場合、リビングにあるテレビでしかプレイできなく、大体両親が観ているのであまりできませんでした(ということで携帯ゲームに打ち込み、のちにポケモン廃人になったきっかけとなった)。
話を戻すと、「家での遊び相手がいないこと」は、正直な話とてつもなく苦しいことだと思います。当時は携帯もありませんでしたし、ふがいなくも当時の僕は友達を遊びに誘うということができない消極的な少年だったので、休日、特に夏休みなんかは宿題もやらずプールにも行かず、たまーに友達と遊ぶ、といった体たらくでした。
結局そのままそのライフスタイルを順当に貫き、中3ともなれば時代の流れを先取りしてアニオタになったりするものです。すごく楽しいです(^p^)

ともあれ、一人っ子であること自体は悪いことではないし、メリットもたくさんあると思います。家でこころゆくままに勉強できたり。
 でも、やっぱり何年も一人っ子でいると、兄弟がいる人に対する憧れが生まれてきます。
例えば、「兄弟に関するエピソード」ってのは定番の面白い話です。見目家とか早田家の話はシュールすぎて大好きです。あと、服とかCDとか本とかのおさがり、共有できるのもメリットだと思います。全部を自分ひとりで買い揃えるのは限界がありますし、趣向もむっちゃ偏ります。
 
 もしパラレルワールドに行けるとしたら、「兄弟のいる自分」を見てみたいです。是非是非。そこにはどんな僕がいるのでしょうか。もしかしたら、岳文会にいないかもしれません。もしかしたら、スーパーリア充かもしれません。もしかしたら、超絶ヒキニートオタぼっちかもしれません。

というわけで、最後に。

「岳文の! 早稲田の! 全国の! 一人っ子よ! 立ち上がれ!」

53期 佐藤

『旧来の友』


私には一人大切な友達がいる。とはいっても、もう何年も会ってはいないが。
というのも、そいつは大阪に住んでいたときの友達で、小4のときに東京に私が引っ越してしまったから。
その友達とは毎日遊んだし殴り合いの喧嘩もした。
今思えば下らないことばかりしていたが、いい思い出だったし、大切な時間だった。
それだけに、そいつと別れることが決まったのはとても辛かった。
それでも最後は笑顔で「また会おうな」と別れた。

小学生の友達なんてものは中学、高校の時と比べたら印象が薄いという話を聞く。
ましてや私の場合は大阪と東京である。もう2度と会えないかもしれない。
それでも私にとってはこの友が一番の親友である。

中2の時の夏休み。とても暑い日だった。宿題もやらずにだらだら過ごしていた。
すると、急に母親に呼ばれた。行ってみると、その親友がいた。
小学生の時と、大分印象が違っていたが、それでも一目でわかった。間違いなくそいつだった。
何が起こったかよくわからなかったが、とりあえず「よう。」といった。
そいつも「よう」と昔と変わらない挨拶をした。
聞けば、東京に用があり、その帰りに寄ったのだという。ついでであっても、うれしかった。
そいつとは、昔とまったく変わらない下らない話をした。
しかし、そいつと話せる時間は短かった。そいつと別れる時、再び約束をした。また会おうと。

皆さんには、遠く離れてしまったが親友と呼べる人がいるだろうか?例え2度と会えないとしても。
そういう人と出会えたのは単なる偶然で済ませるのはもったいないと思う。
そういう出会いを大切にしてこそその人自身の中身が成長すると私は思う。

53期 上條

『メガネとイケメンと私と』


勘違いしている人も多いようなのでまずは一言。
私は常にメガネをかけているわけではない。

たまに言われるのだ。
「メガネしてないところ初めて見た!」

いやいやそんなことはない。
確かに授業中はメガネをしていないと文字が書いてあることは認識できるが、ぼやけていて読めない。だが、ほとんどは裸眼である。
もし私が授業以外でメガネをかけていたとしたら、それはスッピンを誤魔化そうとしているか、面倒くさくてかけたままのどちらかなのである。
こんな私とメガネの出会いは実はごく最近である。
自慢ではないが高校生までは視力が両目共に1.5はあった。
ではなぜメガネをかけるまでに視力が悪くなったのか…。
それは受験である。しかも私の通っていた某予備校はDVDを見ての授業だった。
そりゃ目も悪くなるしかない。
これでは大学の授業で不便だと思いメガネを買いに行く決意をした。

店員:「メガネ買うのは初めてですか?」
私:「はい。受験でいきなり目が悪くなってしまって…」
店員:「それは大変でしたね。高校受験ですか?あっそれとも中学受験?」
私:「…。えっと大学受験です。すみません。」

この店員が黒ぶちメガネのイケメンのお兄さんだったので、私の心の傷は
大きく、いまだに癒えることはない。
…私ってそんなに幼く見えますか?大人の女って何をすればなれますか?

53期 菅原

『青いプロペラ』


5月中旬。
暦の上では夏になったのに、未だ肌寒い。
私は、内定先も決まらないまま、終わりの見えない就職活動に身を投じていた。
新歓ハイクも出席と伝えていたが、直前になって企画者にキャンセルを申し出た。
ちょうどその頃。

企業説明会を終えた夕方、私は張った足腰を労わりつつ、地下鉄のエスカレーターをぼんやりと突っ立っていた。ふと目の前にひとりのおじいさんが目に入った。
一見すると普通のおじいさん。一見すると。
よくよく見ると、何かおかしい。
黒い帽子をかぶっている。それはいい。帽子の上に何か付いているのだ。例の空想科学漫画の世界でないとお目にかかれない代物だ。

それは、青いプロペラ。

地下鉄のホームからの風に呼応してくるくる回るそのプロペラが私の心をつかんだ。むくむくとそのおじいさんへの興味が湧いてきた。

声をかけてみよう。思いついてから行動までは、脊髄反射みたいなものだった。
「その帽子面白いですね。」声をかけた。
信じられないくらいの破顔ぶりで、プロペラのおじいさんは私に振り向いた。
「これは僕の幸運のプロペラなんだよ。」
おじいさんはそれまでのいきさつを語り始めた。それは壮絶な人生であった。
若くして両親が亡くなり、地元青森から28で出稼ぎのため上京。工場勤務の定職に就くも、事故で利き手の指先を失い、その結果、職も失った。それからは期間労働を続けながら、ホームレス生活。寒風にさらされながら新宿のガード下をねぐらに路上生活。それが20年以上続いたそうだ。
事態が好転したのは、一昨年、高田馬場のリサイクルショップで青いプロペラを見つけてからだった。プロペラに心ひかれたおじいさんは、自分の帽子にそのプロペラをくくりつけた。その頃渋谷で「ビックイッシュー」という雑誌の路上販売をして生計を立てていた。特徴的な青いプロペラと人を引き付ける笑顔で、驚異的な売上を誇り、貯金もできた。
さらに幸運なことに、メディアの露出が増え(NHKで特集もされたそうだ)、雑司が谷にアパートを持つ奇特な大家さんの目にとまった。
「うちの部屋、空いてるよ。安くしとくから。」
路上生活を始めておよそ20年。遂に住むべき場所を手に入れた。
『幸運のプロペラ』
不思議な感動が私を包んだ。就活でささくれ立った心が、穏やかな感情に包まれた。
この人に比べれば自分の悩み・苦しみなど、なんて卑小なものなんだろうと思った。両親を失い、指を失い、職を失い、家を失い、それでもにこにこ笑って今ある幸せを噛みしめている。それに比べれば自分はなんと恵まれているのか。自分はなんと贅沢者なのだろうか。

初夏の風は肌寒かったが、気付けば2時間近くも地下鉄出口の前で話し込んでいた。おじいさんに心からの感謝の気持ちを伝え、ワンカップの日本酒をプレゼントしその日は別れた。それ以降会うこともない。
しかし、その青いプロペラと屈託のない笑顔とは私の心に深く刻まれた。
青いプロペラは、私にとっても幸運のプロペラだった。そのおじいさんと引き合わせてくれたのだから。

その翌週、内定が出た。

終わり。

50期 廣前

『 見えぬけれどもあるんだよ パート2 』


これは私が、とある携帯ショップでアルバイトをしていた時の話である。

そこで働き始めてまもなく、社員の方がふと私に言った。
「ここねぇ、出るんだよね」「えっ」「霊がね」

初めは半分冗談かと思ったが、その場所で働いてきた多くの社員の方々の証言らしく、どうやら本当らしいということであった。そして、昔は病院か何かが建っていたというその場所には、お爺さん、お婆さん、小さい子ども、若い女性の少なくとも4人がいらっしゃるとのことだった。
私は、この話を平気な素振りで聞きながら、内心は怯えまくっていた。
私は昔から怖い話が好きであるが、かなりの怖がりでもある。映画『リング』を初めて観た日は、一睡もできず、数十秒ごとに目を開けて周りを確認したり、当時実家の寝室になぜか飾ってあったどこか不気味な“バイオリンを弾く少女”の絵を睨みつけたりしていた。

しかし、そんな怖がりな私には、全くといっていいほど霊感がなかった。
そして、初めは怖がっていたものの、やはりこの携帯ショップでも全く何も感じなかったのである。霊感のある社員の方が、待合スペースの椅子に座る女性の霊を目撃・仰天した際も、ちょうどそこに居合わせた私は、何も見えないどころか感じることすらできなかった。怖がりの私にとっては、これほどなく幸いだったが、ほんのちょっぴり(小指の爪の先の先の先ほどね!)寂しい気もした。
社員の方々いわく、そこにいらっしゃる4人の方々は、ただそこに存在するだけで特に何も害はないそうだ。邪悪な念なども一切なく、携帯ショップにも全く影響ないとのこと。確かに、働いていてそのようなイヤな気配は一切感じられなかった。まあ霊感がない私が言うのも何ですが。
そして月日が経つにつれ、霊が怖いという感情も次第に消え失せ、仕事中たまにふと思い出す程度になった。そして、それと同時に、なんだか不思議な感覚が芽生えてきた。

『見えぬけれどもあるんだよ』by 金子みすゞ

ずっとずっと昔に生きていた人々が、今を生きる自分と同じ空間にいることがとても不思議に思えてきた。また、もしここに本当に霊がいるのだとして、私たちに特に訴えかけるような未練もないのなら、なぜここにいつまでもいるのだろうか。
ここで私は、映画『アザーズ』を思い出した。ネタバレになっても何なので詳しくは書かないが、人間も霊もその場所に留まる理由は様々だということかもしれない。

ところで、私がちょうど今頃の時期になると思い出す「神戸ルミナリエ」というものがあるのだが、皆さんご存知だろうか。
私の地元で15年ほど前から行われている、神戸の冬の風物詩である大規模でとてもきれいなイルミネーションのことだ。しかし、これにはある意味が込められている。

『阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託す』

私は、東京に来るまで毎年この「ルミナリエ」に行っていたが、通常のイルミネーションの展示とは異なる空気がそこにはある気がした。鎮魂のためか、そこではオルガンや讃美歌が流れていてどこか神聖な雰囲気なのだが、そういうことだけじゃなく・・・

『見えぬけれどもあるんだよ』

そう、そこには見えないけど確かにあるんです。多分何かが。人々の中に。
今では、鎮魂という意識は人々の中でだいぶ薄れてきたのではないかと思うが、それでも昔からのコンセプトはいまだに私たちの中で生き続けていると思う。
東京に来てからは何だかんだで行けなくなってしまって残念だが、ふと、あれはイルミネーションを楽しむだけでなく、人々が「見えない何か」を見ようとする、またその「何か」に思いを馳せる場所でもあるのかもなぁ、と感じる今日この頃。。
『見えぬけれどもあるんだよ』の美学ですね。きっと。

ちなみに、このコラムの題名。バックナンバーを見ていて、同じ題名のコラムを見つけてしまったので、パート2にしてみました。ごめんね、Rちゃん><

50期 桐村

『私の話す言葉』


私の言葉は、100パーセント熊本弁ではない。
やはり、生まれ育った山梨の口調も混ざっている。

私の出身地は、山梨県である。しかし別に山梨県が好きなわけではない。
地元愛もない。山梨県民も好きなわけではない。
なぜ地元に帰りたくなるか。
それは、家が好きであり、都会より田舎が好きだからという理由だけである。
閉鎖的と言われている山梨県。無尽という飲み会があり、他県を入れたがらない。
グループが好き。こうゆう独特なところが苦手だ。

正直、山梨が嫌いである。
だから、甲州弁も嫌いである。

私は、高校まで標準語を使うようにしてきた。
家では熊本弁を話していても、外では標準語を使うという自分のルール。
周りの目を気にしていた。

大学に入り、各地の方言を使う人たちの中で、
もう自分の喋っていた言葉を使って良いんだ!と思え、
高校までの自分のルールを無くし、家で喋っていた言葉をどこでも使うようになった。
“自分”でいられる気がした。

「何してるの!!」と怒られるよりは
「何しよっとね!!」と怒られた方が怖い。
「いいよ」と言われるよりは、
「よかよかー」の方が安心する。

私の言葉は、私だけにしか話せないのかもしれない。
4年間、どこの言葉か分からない私の言葉を理解してくれてありがとうございました!!!笑

50期 中村

『タイヤがある乗り物』


車の運転は苦手だ。
効果測定を片手の指では足りないほど受け、やっとの思いで運転免許を取得してから2年以上たったが1回しか運転していない。
その1回で助手席に座った姉からは「センスを感じない」と言い放たれ、後部座席の母からは「怖いからもう乗らない」と言われた。
なんと愛のないお言葉でしょう!!ちょっと反対車線を走行しかけただけなのに!!

思い起こせば私は自転車に乗れるようになるのも遅かった。
小学校に入ってから、知り合いに練習姿を見られるのは嫌だとか何とか言って夕方にこそこそと公園で練習して親を困らせた。
「私は一生三輪車で生きていくから自転車なんかいらない!」と断固主張していたのを覚えている。そういえば一輪車も得意ではなかった。10mくらいしか乗れない。
あんな不安定な乗り物、乗れたところで何だというのだ!!と逆切れしていた。
タイヤが一つや二つ増えたところで苦手なものは苦手なのだ。
ということで車の運転は誰が何と言おうと本気で自信がない。ちなみにバイクは乗ったことがない。
教習所で練習した記憶がない。

しかし実家は平たんな道より坂道の方が多い土地なのだ。車社会なのだ。
いくらなんでも母の電動自転車では限界がある!!

そこでこの場を借りてお願い申し上げる!!誰か運転をコーチしてください!!やればできる子です!
自転車もちゃんと乗れるようになったし、免許講習も効果測定以外は1回でパスできました(もちろんAT限定)。
できれば怒らないで辛抱強く見てくれ、なおかつ強運で生命線の長い人!!そう!!画面の前のあなたです!

さぁ家族にも諦められた私に救いの手を。

50期 種村

『卒論が終わらない…』


恥ずかしい話だが、実は人に相談するのが苦手である。
大抵の悩みは自分で解決できるし、解決しなければいけないと思っているからである。
また、人に相談するのは相談した人に迷惑がかかるし、何より人に相談してばかりでは精神的に自立した大人にはなれない、とも思っていた。
それ故、自分は今まであまり人に悩みを相談してこなかった。しかし、正直に言うと本当は誰かに相談したいのに結局誰にも相談しなかった事が何度もある。あの時少しでも良いから誰かに話を聞いてもらえれば楽になっただろうな、と思い返すシーンは結構ある。まぁ、相談しなかった自分が悪い。

そんな自分だが、先日珍しく人に相談したのだった。正確に言えば、相談というより愚痴である。物事がうまくいかず悪い事が重なり、人に相談したくなりなぜかその時は相談してしまったのだ。
とても恥ずかしかったのだが、悩みというか愚痴を打ち明けた時、自分の気持ちがすーっと軽くなるのがわかった。そして、励ましを聞くと明るい気分になった。
また、相談に乗ってくれた人のアドバイスが的確で、その後物事が徐々にではあるがうまくいくようになったのである。はっきり言って、人に相談するとこうも気持ちが楽になるものなんだな、と思った。今まで人に相談する事に対してネガティブなイメージを抱いていたが、その考え方が大きく変わった。相談というのはいいものである。

時には相談することも大切、なんて事は当たり前だろと思うかもしれない。多分それが普通の感覚なのだと思う。けれど自分にとっては初めての事なのだ。もちろん、自立した大人になるためには人に相談ばかりして甘えてはいけない。けれど自分が本当に辛い時は人に相談するのも大切なんだな、という事を、今回身をもって経験した。



 ・・・これは最近、自分がふと学んだ事である。

早いもので卒業が迫ってきた。思い返せば、色々な事を学んだ大学生活4年間であった。大学で出会った人々には、本当に色々な事を学ばせてもらったし楽しい思い出を作らせてもらった。大学生活の過ごし方に関しては色々悩み苦労したが、結局それなりに価値のある4年間だったのだろう。
自分は過去というものにあまりこだわりがない。今述べている大学生活についても、半年程経てばその思い出の大半は忘れてしまうと思う。ただ、自分の大学生活が大学で出会った人々のおかげで一度しかない人生の中において実りあるものであったという事は、いつまでも忘れないだろう。

50期 赤塚

『最後』


卒業が近づいてきているせいか、何かと「最後」という言葉を聞くようになった。
去年までは“今年最後”だったものが今では“人生最後”だ。「最後の夏合宿」も感慨深かった。
さらに「最後の授業」「最後の馬場歩き」「最後の長期休暇」などと聞くと、「本当に大学生活終わるんだなぁ」としみじみ思う。
授業などこれまで面倒だと思っていたものでも、最後と聞くと何かものさびしい気分にもなる。

最近、友達に薦められスティーブ・ジョブス(Apple創設者)のスピーチ(『Steve Jobs Stanford Address 2005』で検索)をYouTubeでみた。その中でジョブスは、毎朝

"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"

と自分に問いかけ、「NO」が続くようなら

“I know I need to change something.”

と考えるといっていた。

大学生でいられるのもあと2カ月とちょっと。
「○○しとけばよかった」とか考えていてもしょうがない。
“もし最後だったら”ではなく“本当に最後”なのだ。
「あと2カ月しかない大学生活、その過ごし方でいいの?」と問いかけられた時に、「NO」が続くような毎日ではなく、自信を持って「YES」といえるような有意義な時間を過ごしたいと思う。

50期 桐野

『スナイパーは生きている』


執筆日がちょうど平井堅の誕生日なので、今コラムは旧友・平井くんについて書こうと思う。

平井くんは小学校3,4年時のクラスメイトで、3年の時に引っ越してきた私にとって、その小学校で出来た最初の友達といっても過言ではなかった。ちなみに平井くんのあだ名は、顔があまりにも四角いので「弁当箱」(もちろん表面上は平井くん。そこらへんは皆わきまえている)。だが私にとって平井くんは「弁当箱」よりも「スナイパー」としての印象が強い。

なぜか?例えば…一緒に下校途中、当時ヤクルトファンだった私が、ヤクルト吉井のレーザーポインター事件(詳しくはググって)と熱烈巨人ファンだった平井くんを結びつけ、「そこまでして勝ちたいか!」となじった事で口論となった時のこと。突然平井くんの歩みが遅くなったと感じるやいなや、頭上を何かがかすめた。それは小型犬位の大きさの石塊だった。限りなく殺人未遂だと思うのだが、振り返って平井くんを見ると、「俺としたことが…」的な表情を浮かべていた。平井くんには「狙撃する癖」があった。

他にも、例のごとく下校中に口論となり私が論破した所、遠距離からランドセルめがけてツバを吐かれたりしたこともあった。しかもツバに何かしらの成分が入っているのか、何故か汚れが落ちない。平井くんのあだ名が一時期「ガンコ汚れ」になったり、泣く泣く私のランドセルがNIKEのスポーツバッグに換ったのも、今となってはいい思い出である。

だがある事件を境に平井くんがスナイパーを気取らなくなる。それは体育の授業での出来事。平井くんは体調不良により校庭の脇で見学していたのだが、急に体育教師に「鳥のフンが落ちてきたので、着替えてきてもいいですか?」と申し出てきた。確かにシャツの上部分に大きな染みができていた。…だが、どうみてもそれは吐瀉物にしか見えない。
体育教師が「平井くん、保健室行く?」と聞くと、「いえ、顔に当たりそうだったので避けました」と平井くんは質問を無視して言い訳を始める。小学生の時分では吐くことはダサいこととされていて、何としてでも隠したい平井くんの気持ちは分からないでもなかった。でも鳥のフンに、その日の給食で食べたイチゴの種が混ざることはない。
結局平井くんは最後まで事実を認めず、「スナイパーも狙われる事があるんだな…」とひとりごちて、体育教師と一緒に保健室へ行ったのであった。

そして時は流れ、十数年。先日道端で久々に平井くんと会った。思い出話に花を咲かせたのだが、平井くんはあまり小学校の時の自らを覚えていないらしかった。でも覚えていないなんて嘘に違いない。だって平井くんの顔は、頬周りがシュッとしたおかげで六角形へと進化しており、完全にゴルゴ13みたいになっていたのだから。。

50期 岩田

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『地元の話』


皆さんお久しぶりです。卒研が目標地点のはるか手前で墜落することになり、つい先日研究室への春休み出勤が確定しました。院進学ってこういうところが嫌ですよね。

1年生の皆さんはあまり知らないと思いますが、僕の家は岳文会でも屈指の遠さを誇っています。N階堂君が自分の家が山と高原の地図に載っていると今年の名簿に書いていましたが、僕の家も山と高原の地図28 丹沢に余裕で載っています(笑)。しかも神奈川県の西部という誰も知らないエリアに住んでいるため、家が遠いアピールをしても人に分かってもらえたことがあまりないです。ところが、この間何気なくGoogleマップで高尾山周辺を見ていて、やっぱ新宿から辿ると凄い遠いなーとか思っていたら、そこから真下にずっとスクロールして神奈川県の下の方までいったら自分の家がありました\(^o^)/ なので、僕の家は「神奈川県の経度が高尾山の真下あたり」と覚えていただけると幸いです、というしょーもないお話でした。

ちなみに、研究室が地下鉄早稲田駅近くに移転する関係で来年から通学時間がさらに増大するのですが、一人暮らしの予定は依然ありませぬ。秦野市最高。

50期 竹本

『A song of a prime』


膨らむ熱につぶされて
軋むはりがね蝶番
前よ前よと励まされ
あおるつながり金魚酒
僕には自分と1しかない
合わせる歩調は目に見えず
その苦しみは人知れず

慣れない音に耳すませ
まだかまだかと踊ります
自由に舞えよと言われても
音から離れるのが怖い
私の舞台はここでいい?
見えない拍手を聞きながら
癒えない寝床にうつぶせる

1と僕らの間には
うねりたゆたう意味世界
一閃だけが照らす闇
刹那に消える拠り所
それでも変わる後の事情
綺麗な数ではないけれど
ねじれずならばずあれたなら
踏み出す一歩は跡を残さぬ
青天井の大砂漠
「青い」「矛盾」のバクチでも
そこで出会えるのであれば

50期 白川

『砂上の足跡』


ある晩、夢を見た。
夢の中で彼は神さまと並んで浜辺を歩いていた。
そして空の向こうには
彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。

それぞれの場面で、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。
ひとつは自分自身のもの、もうひとつは神さまのものだった。
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと
彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

するとこれまでの人生の道程に
ひとりの足跡しか残っていない場所がいくつもあることに気付いた。
しかもそれは彼の人生のなかでも特につらく、悲しいときだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神さまにそのことをたずねてみた。
「神さま、私があなたに従って生きると決めたとき、
あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃった。
しかし、私の人生のもっとも困難なときには
いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。
私が一番にあなたを必要としたときに、
なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神さまは答えた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
私はあなたを見捨てはしない。
あなたの試練と苦しみのときにひとりの足跡しか残されていないのは、
そのときわたしがあなたを背負っていたからだ。」

+++
高校生の私にとって些か退屈であった「宗教」の授業で出会った一篇の詩。
なぜか雑多な配布物と一緒に仕舞うことができず、自宅の机に貼りつけた。
いつしか不安の波に呑まれそうになる度、この詩を読み返すようになっていた。

大学4年生、人生の岐路に立たされ
あの頃よりも深く悩み、心の迷いが捨てきれない中
ふとこの詩のことを思い出した。

私を背負ってくれているのが神様なのか両親なのか友人なのか
はたまた名前も知らない誰かなのかは分からないけれど
私がここまで生きてこられたのは
間違いなく彼らの労苦のお陰だと断言できる。

あの頃の真っ直ぐで真剣な気持ちをどこかに置き忘れないように
この場を借りて、自戒をこめて。

50期 川上

『笑顔で明るくこんにちは!』


私は実はすごーく人見知りです。人に話しかけるのが苦手です。部室とかで私のことを「こいつしゃべんないな・・・」と思った人もいると思いますが、それは単に私が話しかける勇気がなかったからです。なんかごめんね。

まぁそれはさておき、そんな私も新歓などをこなしてきたわけです。新歓期に私が人見知りだって思った人は少ないんじゃないかなぁと思います。
秘訣は何か?ズバリ「あいさつ」です!
勇気を振り絞って明るく笑顔で挨拶をすると意外に相手も良い反応をしてくれますし、自分自身も勢いづけたりします。
新歓とか、はじめて人と会うときなんかには元気に「こんにちは!」が一番のアイスブレイクです。
ちなみにヨーロッパなんかでは入店・退店の際に挨拶するのはマナーなので気をつけましょう。
もちろん岳文会の部室でもね!

50期 小島

『考える喜び』


今思うと、岳文会では色々とタメになる事をやってきた気もするし、ばかばかしい事に全力を注いできた気もする。ただ、自分では悪くない岳文生活だったと感じる今日この頃。
その理由を何でかな~と考えてみると、
それは自分なりに考えて行動してきた大学生活だったからだと思う。
自分は正直、岳文に対してLOVEだのアンチだのとも思ってないし、皆大好きみたいな博愛的思想は、はなから持ってません(だって人間だもの)
又、色々同期や先輩と話しても、岳文に対する自分の考えが非常に合う人というのは片手で数える程度しか居ません。何か同期の集まりで僕が意見すると大概変な空気になるの止めませんか?結構傷つきます・・・(批判や賛同なら分かりますが)
ただ、自信を持って言えるのは、今まで自分なりに考えて主張してきた、行動してきたと言う事です。
もちろん、結果的に間違えたことは多々あるし、批判や反発もあります。(当然凹む)
でも、自分の意見から議論が活発化し良い結論が出る、自分の行動が少しでも周囲の誰かを助けていたりすると嬉しいし、それはサークル活動をやる中で単に楽しいだけじゃない思いを持てました。やはり、楽しいだけのサークルでなく、楽しみつつ何かを成し遂げるサークル活動を皆にはやってもらいたい。
だって、その方が絶対皆でハッピーになれるよ?皆がハッピーになったら、自分も今以上によりハッピーになれる!!これは、岳文で学んだ一番の事です。
 じゃあ、どうしたら何かを成し遂げられるの、成し遂げたい事なんてないよ?
そりゃハッピーになりたいけど、どうしたらいいのか分からないよ?と思ったあなた。
その通りです。でも、唯一答えがあります。

あなた自身の頭で考え抜いて行動してください
そうすれば、必ず何かが見えてきます、あなたなりのハッピーがつかめます。
少なくとも僕はそうでしたし、岳文会の偉大といわれる先輩方も、自分なりの考え、岳文観を確実に持っていました。
 最後まで投げっぱなしで申し訳ない。当然自分なりの答えはあるし、アドバイス(欲しい人居るのか?)も出来ますが、それは所詮僕の考えに過ぎません。
やはり、最後は自分の頭で考えて、あなたに結論を出して欲しいのです。
結果、上手くいかなくとも、あなたにとってサークル活動を一番満足できるし、ハッピーになれると思うから。

50期 関

『思い出box』


卒業を前に、部屋の片づけに勤しむ今日この頃。。。
皆さんは思い出の品をどう保管していますか?
私は「思い出box」と呼んでいる大きな箱にしまっています。
大学での思い出の品も入れようと、部屋の整理をするかたわら選別しているのですが、これがなかなか進みません。

特に岳文会関係のものは見始めるとどれも大切に思えてきます。
先輩からいただいたメッセージカード、山の上、部室、合宿といろいろな場所で撮った写真、誕生日や合宿でもらったプレゼント、名簿などなど。。。
整理しきれず岳文boxができてしまいそうです(笑)

振り返ると短い、けれど充実した4年間でした。
こうして4年間ため込んだ品々を見ると、心からそう思います。

皆さんも年度替わりを期に、思い出の品々を見返してみてはいかがでしょう?
これまで自分が大切にしてきたもの、これから大事にしたいものを改めて実感できると思います。

50期 田部

『うどんが走り続ける理由』


みなさんお久しぶりです。うどんです。
1年時の7月以来の久しぶりのコラムです。
前回は渋谷ツアーのことを書きましたが、今回は趣味のランニングについて書きます。
私は約1年前から皇居ランニングを趣味としており、最近でも就職活動しながら1週間に40キロ以上は走っています。
ちなみに先月と今月に1本ずつマラソン大会に出場しハーフマラソンを1時間40分で完走してきました。これが早いのか遅いのかはなんとも言えないけど満足せずあと10分以上は縮めていきたいと思います。

ところで私が走る理由、それは体力維持とともに闘争心を駆り立てられ生活に活力を生み出すためである。性格的に体を動かすことが最もリラックスできるし、魂の充実が行動に大きく影響するからね。
ちなみに皇居ランニングの魅力は1週5キロで信号がない上、走っている人が多いことから常に前に目標をおいて走れるので飽きないこと。また各駅からのアクセスの良さ、トイレ、給水ポイントが多さから非常に走りやすいです。

ここで余談。私はガッキーが好きなので東京メトロのCMでガッキーが走っている映像を見ると元気になれます。ついでに個人的には恋空のガッキーが一番好きです。次は十六茶のCMです。

続いて大会参加の魅力は自己ベストの更新や変わりゆく景色を楽しめること。しかしそれよりも多くの方に支えられて大会が成り立っていることが実感できる魅力が強い。ボランティアの方はもちろん、沿道の方の応援はランナーにとって本当に力になる。時には太鼓の演奏やチアの応援、少年野球団とハイタッチすることで励まされ、時には見ず知らずの方から若いんだからここで諦めるなと喝を入れられもぅひと踏ん張りするきっかけをもらえる。
また先月の千葉マラソンでは高橋尚子さん、今月はディズニーキャラクターと触れ合うなど大会に参加することで特別な思い出を作ることができます。

そこで気づいていると思いますがこのコラムの目的はみなさんも走ってみてはどうですかという勧誘です。
体力維持、大会出場、記録更新、理由はなんでもいいと思います。そんなに金額もかからず、時間があればできるので気軽に始められるので趣味としては良いと思います。
また登山シーズンとマラソンシーズンは基本的には補完関係なので夏は登山、冬はマラソンという楽しみ方もありだと思います。私は登山とランニングをする人はみなさんいい人だと思います。

おまけに私の将来の目標は東京マラソンに出場し3時間以内で完走すること。その先には海外の市民マラソンに参加しマラソンを通じて世界の人々と交流したいと思います。
その目標の第一歩として今年は東京マラソンにはプレーヤーとしてではなく、サポート役として大会運営に携わり違う角度からマラソンを味わいたいと思っています。

最後に私は登山とランニングは生涯続けていこうと思います。みなさんもぜひ走ってみてください。そして良かったら一緒に走りませんか?

50期 松原

『近況報告』


今回コラムを依頼された訳だけど、1年以上会っていない人が多くコラムというより50期同期への近況報告的な感じになります。
それでは興味のある方だけくるぶしさんの日常を読んでください。
僕は大気・水圏環境を調べている研究室に所属しており、雨や大気中の成分を測定しています。
僕の研究はサンプリングが非常に重要であり、朝6時に学校に来てサンプリングを行わなければなりません。そのため毎朝5:10発の東急線に駆け込みます。眠いですね・・。
そして日中はその分析やデータ整理を行い、17~18時に夜間のサンプリングを行います。朝早い為かこの時間には肉体疲労は極限状態に達しています。
一刻も早く寝たいのですが、その後ゼミやバイトがあったりするとそれはもう大変です。睡眠時間がカオスになります。週末だけが体を癒す時間ですが、バイトの労働時間もこの日で稼がなければなりません。毎日の早起きのせいか早番(8:00~)が余裕に感じます。大学院でも続けていきたいですね。

以上が生活の流れです。来年僕は大学院に進むわけですが、学会が3・5・6月に立て続けにあり春休み中も研究室にいる事になりそうです。いくら希望して大学院進学を選んだとしても、後2年この生活が続くことを考えるとちょっとため息が出そうになりますね。

50期 小林

『無いと困る』


この前東京でも雪が降った。僕は雨や雪の日に家の中にいるのが好きだ。何故だろうか。
それは多分「ありがたさ」が分るから。雨が降っている時は「屋根のありがたさ」、寒くて風の強い日は「壁やコタツのありがたさ」がわかるからだろう。

こういうふうに何かが「無い」状態から「有る」状態、またはその逆、になることでその何かの「ありがたさ」が分る時ってあると思う。
例えば
空腹の人は食べ物のありがたさ。
溺れていた人は空気のありがたさ。
徹夜した人は睡眠のありがたさ。
戦争を経験した人は平和のありがたさ。
病気になった人は健康のありがたさ。
金欠の人はお金のありがたさ。
卒業した人は学校のありがたさ。
山に行っていた人は布団のありがたさ。

が分るんじゃないか。
でも人間はほとんどの場合そういう状態になるまで、そのありがたさに気づけない。
余りに当たり前すぎると見えなくなる。
でも実際は「無くしてからじゃ遅い」ことが結構あったりして…。普段から身の回りにあるモノや人のありがたさを認識出来るような人間になりたい。

50期 大橋

『時々脳裏をよぎる、どーしようもない妄想』


大学に入って四年間。大学の授業の中ではもちろん、映画・漫画そして岳文会と三つのサークルに入って、本当に多くの人たちと出会い、色んな経験を得ることが出来ました。楽しいこと、しんどかったり辛いこともあったけれど、それらを経て成長してきたからこそ、今の自分があると思っています。
高校以前の内気で卑屈な自分に比べて、大分自分に自信をもてる人間へと成長できたと自負している。何より多くの良き友人を得て、毎日忙しいながらも楽しく毎日を生きている今の自分は本当に恵まれていると強く感じる。ただ、そんな今の自分を振り返る時、常々ある“どーしようもない妄想”を抱いてしまうのです。
その妄想というのが、“今の自分こそが妄想の産物で、本当の自分はどうしようもなく孤独な人間である”というもの。その所謂“本当の自分”は、大学何か行ってなくて一日中部屋に引きこもり。誰にも会わず誰ともしゃべらず、家族とさえ会話していない。一日の大半をネットで潰し、ゲームやアニメの世界に没頭して自分の殻に閉じこもる。自分に自信を持てないためにまともに人と会話も出来なく、対人恐怖症で、ただただ一人引きこもって年を重ねていくだけの生活。このままじゃマズい、どうにかしようと焦っているけれど、誰にも相談できず、問題を先延ばしにして、更に自分の世界に埋没してしまう。そんな孤独で鬱屈した感情をもった人間が本当の自分である。
そして、そんな孤独な自分が妄想した“友人に囲まれて大学生活をエンジョイしているリア充な自分”が、今の自分であると・・・

・・・と、まぁ、しょ~もない妄想を時々します(笑)
それだけ今の生活は楽しいし、かけがいのない、絶対に手放したくないものだと感じています。そう思う反面、どこかで道を誤ってしまっていたら、こうした“どうしようもない自分”になっていたんじゃないかな~って考えてしまうわけです。結局、考えてもきりのない話なんですけどね。

とにかく、今の自分が持っているもの、今の自分の環境に感謝する気持ちを忘れないようにしています。特に、今の自分の周りにいてくれる人たちのありがたさを。

50期 永春

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『恋人』


初めて会ったのは新勧、一目ぼれだった。
出会って間もないのにすんなり俺を受け入れてくれた。俺はうれしかった。
短い間であったけど、遊園地や温泉、いろいろな所に行ったと思う。
お酒もよく飲む。たびたび酔いつぶれる私をいつも介抱してくれた。
いっぱい話をした。面白い話、くだらない話、むっとした話、時たま考えの違いから言い争いになったこともあった。
昼間だけではなく、夜も激しい。なかなか寝かせてもらえない夜が続いた。
たまに暴力的になることもあって、殴る蹴るは当たり前、携帯を床に投げつけられたり、包丁を持ち出されたりしたこともあった。
そんな気性の激しいところもあるけど、気がつけばどっぷりハマり込んでいた、生活のほとんどすべての時間を費やし、奨学金やバイト代、金も数百万単位でつぎ込んだ。
理不尽なとこは多いし、束縛も強い、何度も悩んだ、血を吐いたこともあった。怒りで体がうち震え、涙で枕がぐっしょりなんてことは数え切れない。
己の小ささ、至らなさを幾度となく思い知らされた。
しかし、それゆえに俺を強くそして大きくしてくれたと思う。
反省は大量にあるが後悔はない。もし過去に戻れるとしてももう一度同じ体験を繰り返すだろう。

四年間ありがとう岳文会。

50期 阿子島

『山といえば・・・』


本屋をのぞけば『お花見特集』と書かれた雑誌を思わず手にとってしまい、
街を歩けばお店の店先に並べられた春物の洋服たちに思わず足を止めてしまう今日この頃。

春ですね!
大きなザックを背負って山へ出かける季節がまたやってきました!

山行の準備をする過程で、最も悩み、また最も楽しい時間・・・
私にとってそれは行動食、いわゆる『レーション』を準備する時間です。
何時間もただひたすら頂上を目指して歩き続ける山行の中で、
短い休憩時間に食べるレーションは、私に体力も気力も与えてくれるものなのです。

そこで今回は、私のお気に入りのレーションを厳選して3つほど紹介したいと思います。

まず1つ目は【カントリーマアム(特にココア味)】。
私は昼食もチョコレートですませることが出来るほどのチョコレート好きなのですが、
残念ながら、暑さに弱いチョコレートは中々山行には持っていくことができません。
そんなとき私のチョコレート欲求を満たしてくれるもの、それがカントリーマアムなのです。崩れやすいのが難点と言えば難点ですが、食べた瞬間疲れ切った体中に広がるあの甘さは、まさに至福のひとときです。

2つ目は【ギンビスのアスパラガスビスケット】。
とある新歓の企画で某52期の先輩からいただくまで、私はこのビスケットの存在を全く知りませんでした。モンドセレクション金賞を受賞したこともあるその味は黒ゴマの風味と塩味が効いていて、素朴な、どこか懐かしさをかんじさせるビスケット。私にとっては「山行」と聞いて一番に思い出されるレーションです。

そして、最後3つ目は【外賀メシ】。
岳文会の中では言わずと知れた、51期外賀さんが作ってくださるレーションです。
幸運にも、私はGWハイクでそのお味を堪能することができました。先輩方から何度も「美味しい」と聞いて高まっていた期待・・・実際にその時作ってくださった出し巻き卵と焼きそばは、その期待をはるかに超えるものでした!本当に美味しかったです!!

・・・と、お気に入りのレーションはまだまだあるのですが、今回はこれくらいに。
もうすぐ私も晴れて2女!『MOTEレーション』どうしようかな。

53期 窪添

『理工キャン』


理工学部の人以外は、理工キャンパスにあまり来たことがないでしょう。

理工キャンパスがどんな所かというと、まずキャンパス内を白衣で歩いている人がいる。
そして、建物のほとんどが灰色のコンクリートでできた構造をそのままむき出しにしているため、外観は大学というよりはむしろ工場のような感じである。
また、キャンパス内はビル風が吹き荒れている。これがかなり強風で、噴水の周りのベンチに座るときは風向きによって、けっこう水しぶきがとんでくる。去年の新歓期にはマジックサークルの人が、マジックの実演中にトランプを風で飛ばされて、マジックどころじゃなくなっていたこともあった。

こんな理工キャンパスだが、数年前にできたばかりの63号館の中には、馬車道というわりとおしゃれなレストランがはいっているし、56号館の理工カフェテリアでは、揚げたての豚カツも食べられる。
そしてキャンパスの中には噴水や桜の木などがあって意外ときれいです。西早稲田駅の入り口もキャンパスの中にあり、通学も楽なので私は結構気に入っている。
本キャンからは少し距離があるが、理工キャンと本キャンを往復する無料のバスもあるので、理工キャンパスにぜひ一度遊びに来てみてはどうだろうか。

53期 甲斐

『馬場歩きのススメ』


私は入学時から定期は高田馬場までであり、早稲田駅はお金を払わないと利用で
きない。
高田馬場駅から本キャンまでは普通に歩くと15~20分で、近くもなく遠くもない
微妙な距離である。
馬場歩きをする理由としては私が教育学部生、つまり16号館の住人だから早稲田
駅を使っても時間的に変わらないことや、まあ歩けばダイエットになるかなーと
いう気持ち、交通費が浮くことが挙げられる。
それとワセメシやお店の物色なんかも楽しい。
登校のときでいうと電車の混雑から抜け出し自分の足で風を切り地面を踏み進め
て行くあの爽快感が気持ちいいのだ。特に一限のラッシュからの脱出は格別。
歩いている時間は、馬場という街に自分をなじませていき早大生モードに切り替
えて行く移行期間と言ってもいいかもしれない。
ちなみに歩く時は私は無心であることが多い。優雅にバスで馬場駅~大学間を行
き来している友達から私の姿が見られたときには顔が死んでいたよと言われるほ
ど。もしすれ違ったときに私が気付いてないときはごめんなさい。
夏は暑くて汗だくでも、冬は寒くてかじかんでも私は歩き続ける。しかしどうし
ても遅刻が許されないときは…さすがに文明に頼るしかない。単位は欲しいもの

帰りはおしゃべりしたり音楽を聞きながらゆっくりと歩くのが好きだ。
どんなに汚くても呑んだくれの街と言われようとも私にとって馬場は落ち着くマ
イホーム。
あなたも一緒に歩きませんか。

53期 萩原

『僕が岳文会を選んだ理由』


僕は寮に住んでるんですけど、去年の今頃そこの先輩に「新歓は何個か行って経験積んだほうがいいよ!」と言われ、ほんじゃどっか適当に1コくらい行っとくかー、とそれくらいの気持ちで岳文会の新歓コンパに参加。そのまま2年生になっちゃいました。登山に特別興味があったわけではないし、熱心に勧誘されて心うごかされた、ってわけでもありません。でも、なんかこう、居心地のよさを感じたのです。山の景色ってすごく綺麗で悩みなんかわすれちゃうし、周りは面白い人ばっかりだし、山に登らなくてもいろいろやるし、そして部室にはおもしろいマンガがいっぱいです。
だからこのホームページを見ているあなたは、1度新歓コンパにきてみたらどうでしょうか。ここに書ききれないのもふくめて、サークルのよさがきっと伝わるとおもいます。
去年の僕のように、お酒のイッキとかないだろうか…と心配している新入生。大丈夫です、そんなことはありませんよ。うん。
そういうわけで、ひとつ岳文会をよろしくお願いします。新歓コンパは4月22日、17時に大隈講堂前集合です。何回も書かないと忘れそうです。新歓コンパは4月22日、17時に大隈講堂前集合です!

53期 大谷

『18の君へ』


岳文会に入ってもうすぐ一年が過ぎようとしている。
私が学文会に入って変わった事で劇的な変化だったと思っているのは、愛用していた二つの物を変えた事だ。使い捨てカメラから移動ルートを記録できるデジカメに、
2004年8月から6年8ヶ月使った携帯を最新のドコモ携帯に変更したことだ。変える時にこんな風に思っていた。長年続けていた何かを変えることはすごく勇気がいる。
撮影枚数の制限がある使い捨てカメラのシャッターを押す、その一瞬に個人の想いが詰め込まれて、撮るのも見るのもとても好きだ。
だが枚数を気にせずに友人と撮り合えるのはデジカメの良さだとデジカメを購入した。
山岳部で出会えるのは人間だけでなく雨だけでも驟雨、地雨、天泣と、出会うものは想像を越えて豊かである。暖かくなり、日差しが強くなる季節に、吹く風も輝くように思える様子や夜明け前のしんとした雰囲気に土のにおい。
一年前、前には見なかった子だねなんて言われるのを不安から期待しながら私は他の見学者と一緒に部室のアルバムで山の写真を見ていた。
写真を見る側では分からないことを知りたいから写真の中に入ってみたいと思った。
だからここにいるのだと思う。

携帯をドコモに変えたのは一番電波が入りやすいという理由でだ。
確実に岳文会に侵食されていくのが見て取れるだろう。
私は跡見学園女子大学生だが他大学生も受け入れているので気軽に参加して欲しい。
どの時代でも、人生でも、勇気は必要だと思うから。
深呼吸をしてちょっとドアを開けてみて。
いつかこのコラムを見て下さった皆様と巡り会えますように…。

53期 坪井

『新入生に贈る 自転車のススメ』


自分の普段の主な移動手段は、自転車である。
というのも、実家が自転車屋をやっており、子供の頃から自転車でどこにでも行くような習慣がついていたからだ。東京と違い、我が故郷新潟では大抵の建物が駐輪スペースを持っていた、というのもある。なので、自分はアンチ自動車・電車の人間といえる。別にそれらの交通手段を用いる人々が嫌いなわけではないので誤解のなきよう。
そこで自分が言いたいのは、自転車がいかに便利[ユースフル]で合理的[リーズナブル]で優秀[エクセレント]な最終兵器[ファイナルウェポン]か、ということだ。正直言って、何故日本でここまで自家用車が一般家庭に普及し、電車が毎日の交通手段として多くの人々に用いられているのか、理解に苦しむ…。ではまず簡単に、自転車の優れている点を挙げてみよう。

・初期投資・維持費ともに格安。
・運動になる。
・短い距離ならば車・電車より早い。
・排気ガスを出さない・電力を使わない(ライトは使うが…)。
・歩道と車道の両方を通れる。公園とかにも入れる。
・駐輪スペースをあまりとらない。

完璧[パーフェクト]である。現代的な紳士の移動手段として、これほど美しい性能[ビューティフルスペック]を備えているのは自転車くらいのものであろう。歩行者・車の邪魔だの、迷惑駐輪が多いだのとがなる輩もいるが、それは日本が自動車中心に道路開発、法整備を進めてきたせいであり、自転車の罪ではない。オランダなどを見習って欲しいものだ。とはいえ、そこで国に全ての責任を押し付けるのもまた紳士的ではない。そこで、自転車を使用する際の基本的な注意点を記したい。自分も普段完璧に守れているわけではないが、最低限のマナーであることは覚えておこう。

・二人乗り・無灯火・飲酒運転・傘差し運転・並列走行は違法。実際に事故にならずとも、それは他人が注意してくれるからである。迷惑であることに変わりはない。
・車道の左側を走るのが基本。左ったら左。
・タクシー、バスの幅寄せには注意。ケンカしないように。いつも友人がお世話になってます。
・迷惑駐輪はしない。持ってかれるのがオチ。

最近節電の影響で電車が利用しづらくなり、にわか自転車乗りのマナーの悪さが問題になっている。法律がどうのではなく、迷惑をかけないような乗り方を心がけて欲しいものだ。

最後に、紳士的な自転車ライフを送る助けになるよう、自分が普段利用している駐輪場・自転車店を紹介しよう。これさえ知っていれば、回収車もパンクも怖くない!

・高田馬場駅第一自転車駐輪場(24時間受付・一日100円)
・新宿駅東口路上自転車等駐輪場(24時間受付・最初の2時間無料その後24時間100円 )
・エルプレス池袋西口店横駐輪場(24時間受付・最初の2時間無料その後24時間100円 )
・22号館前駐輪場
・本キャン近くのリーガロイヤルホテル向かいあたりの店

他にも使いやすい駐輪場・自転車店を見つけたら是非教えて欲しい。
自転車と正しく付き合って、楽しい大学生活を送ろう。以上!

53期 涌井

『部室の正しい使い方』


AM 8:00 学生会館が開館する。部室に直行。
AM 8:02 PS2を機動。誰も居ない部室は完全に満喫だ。
AM 8:53 おっとそろそろ一限だ。本キャンへ行かなければ。
PM 0:10 二限終了。昼休みだから部室へ行こう。
PM 0:17 部室到着。人があふれている。
PM 0:31 「昼飯行こうぜー」「どこがいい?」「じゃあ"メーヤウ"」「断
固断る」
PM 0:46 なんやかんやで「キッチンオトボケ」へ行くことになる。
PM 1:10 「そろそろ3限行くかなー」もう3限始まってますよお兄さん。
PM 1:20 部室へ帰還。「スマブラ」に参戦する。
PM 1:55 「スマブラ」に飽きてきて「遊戯王」を始める。
PM 2:30 まずい。4限が始まってしまう。いや、まだ後一戦いける!
PM 2:43 デュエル終了。どう考えても遅刻です本当にありがとうございました。
PM 4:15 4限終了。さて部室に帰って今度は「マリオカート」でもやろう。
PM 4:23 部室到着。「ぷよぷよ」派にTVを奪われている。なんてこった。
仕方ない「嘘喰い」を読もう。
PM 5:05 「嘘喰い」読むのも飽きたので「ぷよぷよ」に参戦。
PM 5:12 「ぷよぷよ」派3名に立て続けにフルボッコされる。もうお前らなんか嫌いだ。
PM 5:40 小腹が空いたのでセブンイレブンにお菓子を買いに行く。
PM 6:15 6限のある「ぷよぷよ」派が部室を出て行く。よっしゃ「マリオカート」
の時間だ。
PM 7:52 6限帰りの連中が部室に帰って来る。
PM 7:55 夕飯はどこに行こうか。
PM 8:14 なんやかんやで中華料理店「成都」になる。先週も行ったばっかじゃねぇか。
PM 8:20 ちゃんと鍵は閉めて出ましょう。

岳文会3年目の私の日常でした。
他にも動画サイトをひたすら回っている人、
取り憑かれたように「ストリートファイター」をやる野郎、
突然現れるトレーニングセンター帰りの男、
飯食ったばっかなのにケーキ食べに行こうとか言いだす女性、
シュラフを持参して寝始める奴など
人によって使い方は様々。
どう使うかはあなた次第。
個人的にはスマブラ付き合ってくれる人を歓迎します。
やっぱね、XよりDXの方が面白いと思うんだ。

52期 高寺

『ぼくらの夢はポケモンマスター』


どーもこんにちは、岳文会53期のLAST HOPEことオカショーです(^-^*)/
新歓コラムという事でね、前回投稿したらボツ喰らってね。書き直しwwwまあボツコラムもその内掲載されるらしいんでTo be Continue…

という訳で今回は「大学入って勉強する必要がなくなったから時間余ってるおっていう良い子の新入生諸君の為に、平成で最も熱いアニメ「ポケットモンスター」シリーズの魅力を語ろう。ちなみに僕は毎週見てます。

平成生まれの人間なら、一度はゲームかアニメで触れたであろうポケモン。つか触れた事ない奴がいたら俺ん家に24時間監禁して教育するわ。
しかしまあ大抵の人は中学ら辺で卒業しちゃうんだよね。「ポケモンとかダサいwwww」とか言って。マジ典型的な厨二病患者だわ。
時は流れ厨二病を克服した現在、金銀リメイクや黒白で「懐かしいから」「女の子もやってるから」等、様々な理由で復帰した人も多いと思う。

でもポケモンのアニメ=子供向けってイメージは拭えない。だから毎週見てる大学生なんて俺くらいのモンだろwww
しかし、ポケモンアニメには、僕らがいつしか忘れてしまったモノが沢山詰まっている。
例えば主人公のサトシや悪役のロケット団といった登場人物たちは皆、ポケモンとの絆を大切にしている。友情だの絆だの、一昔前の漫画のテーマで今は時代遅れなのかもしれない。だが、僕は人間にとって本当に大切なモノはいつの時代も変わらないと信じている。
そして、このアニメシリーズから一番学ぶべきは、サトシの「何があっても絶対に諦めない」という姿勢だ。ポケモンなんて僕らが幼稚園の頃から放送してるのに、彼は未だにポケモンマスターには程遠い。アイツはちょっと強くなったと思ったら、その度に強敵にボコボコにされている。だけど、例え相手が伝説のポケモン6匹のメンバーで勝負を仕掛けて来ようと、常に自分のポケモンを信じて全力でぶつかって行く。諦めた事なんて一回もない。

僕らはこの先何十年と生きていく。そのなかで多くの困難にぶつかり、崩れ落ちそうになるだろう。だが、その時は思い出して欲しい。僕らの子供時代のヒーローは今も、自分と友達を信じて最後まで諦めず、負けてもヘコたれず、明日に向かって努力を続けている事を…

今放送中の「ポケットモンスター ベストウイッシュ」は、シリーズの中では原点回帰の立ち位置である。新入生の皆にも大学に入った今、一度自分の原点-どんな事でもいい。一度は何らかの夢を抱いた筈だ-に立ち返って、有意義な大学生活を送って欲しい。
少年の心を忘れるな。どこかで大きな壁にぶつかったら、その時は俺や、君の友達が君のピカチュウになってやる!

53期 岡田

『趣味の話』


趣味と言えば寝ることと散歩することで、どっちにもやっぱりひとつふたつはこだわりがある。
枕を使わないほうが、とか、教授の退屈な授業をBGMに机に突っ伏すのが、とか
寝るってのはどうもパッシブな流れになってしまうから、散歩の方を採用しよう。
長々書くのもどうかと思う。
ついでにどうももう夏の入り口に季節が差し掛かっている。
夏に絞って書くとしよう。
私は梅雨の時期では雨の降る朝の遅い時間が良いし、
夏の盛の散歩では、夜明け直前、葉桜の並木道を歩くのが好きだ。
晩夏は湿気を大に含んだうっとうしい空気に包まれて歩く夕方が気怠くてそれっぽくてキャッチーだと思う。
じゃあ、今この時期は、と言うとこれが思いつかない。
たぶんだけど、来月あたり梅雨になったらこの春の終わりを物凄く惜しんでいるだろう。
先月なら、派手だったりおセンチ過ぎる桜の花をうとんでこの時期を熱望していたかも知れない。
とかく私というものは物事を忘れやすいし考え方も適当だけど、特に今についてはぞんざいに考えているのではないか。
これは反省する必要があるかも知れない。
コラムを書いているうちに意外と勉強になった。コラムは人のためならず、といったところか。
結論までこれたし、もう季節最後の羽毛布団の出番と感触を思う存分楽しもう。

52期 瀬川

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『せっかく早稲田入ったんだから』


大学生はモラトリアムみたいなもの。
そんなことをいう人もいるけれど、私はそうは思わない。むしろ人脈をつくるために必要な4年間だと思う。
だから、関西から出てきた私はまずコミュニティーを求めた。とりあえず入っときゃいいかなみたいな軽いノリで入ったところがこのサークルだった。
ひたすらやってきたこの2年間、周りの人々に様々な影響をうけた。いい影響ばかりだったとはいえないが、新たなステップへと踏み出すきっかけにはなったと思う。人数が多いだけじゃなく、卒業を控えた4年生とも密接に関わることのできるサークルはここだけだと思う。ただ単にサークルにいるだけじゃなくやりがいを求める人にはうってつけなはず!
まあ私は4年が5年になったんだけれども。

52期 橋本

『方言』


【福岡】:イントネーションにちょっとした違いはあるが、基本的に語尾変化のみ。けん、や、ちゃ、ばい、たい、と、ん…など。同じ県内でも地方によって若干変わる。

EX:この前槍登ったっちゃけどさー雨やったけん超危なかったとって。
      俺はやめとこうっていったんよ。やけどリーダーがどうしても登りたいって言う
けん班員みんな仕方なく登ることにしたん。でリーダーを先頭に登り始めたったい、そしたらさぁいきなり危ないけんやめようとか言い出したんばい?信じられんくない?

→【敬語】:この前槍登ったんですけどー雨だったんですごく危なかったんです。
 僕はやめようっていったんですよ。でもリーダーがどうしても登りたいって言うので
 班員みんな仕方なく登ることにしたんです。それでリーダーを先頭に登り始めたんですけど、そしたらいきなり危ないからやめようとか言い出したんですよ? 信じられないですよね。


ところで全く関係ないけど53期実家通い多過ぎ。泊まるとこねぇ。

53期 宮原

『単位の取り方』


私は商学部なので商中心の話になってしまうが、特に商学部において単位を取ることは別段難しいことではない。どうするか?それは単純に「授業に出る」ことである。普通に出席して、普通に授業を聞いて、普通に課題を出して、普通にテストを受ければまず間違いなく単位は来る。新入生は、そんなこと当たり前じゃんと思うかもしれない。もしそう思ったら、そのピュアな心を持つ限り、きっと単位は落とさない。何だかんだで、マイルストーンは活用すべき。当てにならないなんて話もあるが、しかしあれでドハマリを回避できる。私から言わせれば、マイルも見ずに授業を選択するのは愚の骨頂。ドハマリ回避も、大事なスキルだ。
 では、なぜ単位を落とす人がいるのか?簡単だ。授業に出ないのだ。早稲田生は、大半がいかにサボって単位を取るかしか考えていない。その綱渡りに失敗した者が単位を落とすのである。普通にしているだけでいい理由は、実はここにある。綱を渡っている連中が、勝手に落ちていくのだ。商学部は4人に1人が留年すると言われている。そんな馬鹿なことあるはずがない、そう思っていた時期が俺にもありました。信じられないなら、語学のクラスか何かで4~6人くらいでグループを作るといい。そうすれば、真理に近づける。まあつまり、4人に1人はサボる人が出てきてしまうのだ。アリとかハチみたいなものだ。
実際、ろくな説明はなかったが、要は出席すればいいのだ。中には、出席取らない授業を好む人もいるが(というかほとんどがそう)私は逆に出席を取る授業を好む。なぜなら、そのような授業はちゃんと出席してれば、テストで失敗しても大目にみてもらえる場合があるからだ。それでも単位が来ないなら、それはきっとドハマリだ。
 最後に言っておくと、私は単位さえくれば何でもいいと思っている。興味とか、授業のおもしろさとかは一切省いている。全ては単位のため。そんな人間だ。受けたい授業があるなら、それを取るのが一番かもしれない。また、単位も大事だけど、何よりもまず大学生活を楽しんでほしい。

52期 佐々木

『単位の取り方』


前回の我が同期・佐々木君のコラムを拝見し、「これは見過ごせぬ」と義憤を抱き、筆を取るに至った次第である。新入生諸君には心してお読み頂きたい。

先ず、そもそもの前提として、大学の講義は、つまらないものである。大概は教授が教科書を朗読して終わるのである。時間の無駄である。人生の浪費である。即ち、何か学びたいことが在れば、本などを読んで独力で学ぶ方が、内容・早さ共によほど優れている。まだ部室でスト3やスマブラ等に興じる方が、大学の講義に出席するより、有意義な時間の過ごし方である。

では、なぜ我々は大学に通うか。それは、卒業に伴い手に入るブランド力を獲得するためである。諸君が苦労して早稲田大學に入学したのは、やはり、早稲田ブランドを得んがためであろう。(決して、偏差値が高いからといって、早稲田大學で行われる授業内容が、他大学より優れているわけではないことからもわかるだろう。)つまり、そもそも、はじめから誰も大学の授業に期待などしてないのだ。要は、卒業に至れば良いのであり、そのために、“単位”の話題が出てくるのだ。

授業に全て出席すれば、まず単位は来る。しかし、考えて頂きたい。慶應と並び私大の雄として評される天下の早稲田生が、果たしてそれで良いのか。授業を休まず出席すれば、その者の能力や、思考プロセス等に依らず、単位がくる。ほとんど何も考えずとも、ただ授業に出席し、ノートを取れば単位がとれてしまう。ゆとりもここに極まれり、まさに思考停止である。我々は大學に授業を受けにきているのではなく、学問をしにきているのである。学問とは、一所懸命ノートに板書を写す作業のことではない。高校までは、それでいい。だが、大学では、ただ授業に出て板書写すだけではいかんのである。自分にとって必要なものと、不必要・時間の無駄なものとを、取捨選択せねばなるまい。

では、如何にして単位を取るべきか。結論から云えば、“最も少ない労力で、最大の効果をあげること”である。要するに、可能な限界までサボタージュするべきなのだ。全ての授業に出席して単位を取得することは、幼稚園児にも出来る。難しいのは、限界ギリギリまでサボってかつ好成績を修めることだ。そのためには、高度な情報収集能力(主に過去問題)、広い人脈(代返力)、そして、試験一発で好成績を取るだけの知性及び思考能力が必要とされる。これは、並大抵のことではない。

最初から、全ての授業に出席すれば済む話で、それで万事解決・フル単である。しかし、果たしてそれが本当に正しいのか。いつまでもフル単のぬるま湯に浸かっていて良いのか。授業に出席することで失った諸君らの尊い時間・大学生活は、二度と戻っては来ないのである。ならば、ギリギリのところでやっていく方が、よほど賢く、有意義な学生生活を送れるのではなかろうか。どうだろうか。俺は今期も、大量に単位を落とすのだろうか。5年目はやだなぁ。

52期 藤田

『単位の取り方』


前回・前々回と、諸先輩方の『単位の取り方』をご覧いただいたと思います。しかし、早稲田大学には、「例外(イリーガル)」があるのです。そう、それは…、早稲田が誇る最強学部「社会科学部」です。

まず、社会科学部の概要について簡単に説明しておきます。社会科学部とは、1950年かそこらに設立されました。政治学・法学・経済学を初めとした社会科学に属する学問を、学際的・複合的に学び、細分化された昨今の社会に必要な、マルチなエキスパートを養成するスペシャルな学部なのです。毎年受験者も多く、近年は倍率10倍前後をキープしており、選ばれしスペシャリストの卵が学業に励んでいます。裏口は知りません。

話を戻しましょう。結論から言いますと、社会科学部の授業は大抵「1/3~半分の授業に出て、レポートorテストをやれば」単位は来ます。それをやらずに5単位しか取れなかった同期がおります。また、基本的にマイルの情報はアテになります。実際にそれで5単位からセミフル単まで行った同期がおります。ゆとりです。

しかし!実際、社会科学部には単位を落とす人が続出しております。フル単という言葉はもはや真夏の夜の夢です。何故でしょうか…?
ひとつには、社会科学部全体に流れる「雰囲気」があります。いや、雰囲気という言葉では生ぬるい。もはやそれは「瘴気」です。「おい、今日授業サボらね?」この言葉は社会科学部生のまほうのことばです。「オール明けでキツいからサボろう」「二日酔いやばいからサボろう」社会科学部生のコモンセンスです。1限は無理です。社会科学部生には1限出席という言葉はありません。2限も無理です。そこそこ真面目な社会科学部生は出ることができますが、大半の社会科学部生は無理です。いやホント無理です。しかし一つ問題があります。社会科学部生が必ず16単位分取らなくてはならない「コア科目」という授業群があるのですが、このコア科目、1限と2限にしかないのです! 午前中はキツい、でも行かなきゃ卒業できないジレンマ…こうして、社会科学部生はより強くなるのです。多分。

しかし、1年間社会科学部に在籍して思ったのですが、社会科学部の授業は意外とおもしろい!社会科学部は、文系から理系まで多彩な授業があります。例えば、「メディア論」「社会言語としての映像」「哲学総論」などの文系科目から、「生命科学」「宇宙科学」「自然地理学」などの理系科目まで、バラエティに富んだ授業が取り揃えております。私は中学時代からド文系だったのですが、大学で改めて理系の基礎を学び、非常に深い教養を得ることができたと思います。


ということで、せっかくの大学生活。社会科学部であろうとなかろうと、楽勝授業に甘んじず、是非アカデミックなキャンパスライフを謳歌しようではないか!

長文失礼しました。いい加減このシリーズ終わらせましょう。

53期 佐藤

『授業中の妄想を実生活で活用する方法』


高校生のとき電車とホームの間に落ちて挟まったことがある。考え事をしながら歩いていたら足を踏み外した。幸い多くの乗客の方の助けを借りて、肩まではまってしまった体をひっぱりあげてもらえた。しかしわたしのせいで電車は止まり、駅員さんや乗客の失笑とヒンシュクをかった。あの時の恥ずかしさと言ったら…思い出すだけで穴があったら入りたい。いや、すでにあの時穴に入っていたのか??
 次の日学校でそのことを友人に話すと、「聡子は結構考え事をしてボケっとしてること多いよ。頭で考えててもぐるぐる同じこと考えちゃうだけだから、紙に書き出してみるといいよ。」と言われた。確かに思い返せば授業中も授業とは全く関係ないことを頭で考えていることが多いなと思った。くだらないギャグとか、今日の夕飯を予想したりとか、そういう他愛もないことから、どうやったら部活の大会で勝てるかや、ケンカした友達のこと、受験どうしようなどすぐには解決しないことまで、頭の中に浮かんでは消えて、そいつらはわたしの頭を支配している。こんなことでは勉強に集中できん!いかんなぁ。と思ったわたしは、友人に言われた通りとにかく思いついたことを書き出して頭から考え事を追いだすことにした。
これがやってみると意外にわたしに合っていた。わたしはこの考え事を書くノートを「アイディアノート」と名づけ、どこにでも持ち歩いた。書き出してみて気付いたのだが、人は一日で非常に多くのことを考えていて、その中には一日一つくらいとってもいいアイディアがある。皆さんも生活の中で「いいこと思いついた!」という瞬間があると思うが、大体の場合その一瞬を過ぎれば忘れ去ってしまうだろう。もしかしたら世紀の大発見かもしれないのに、もったいない。また、ノートに書き出してしまえば悩んでいることは頭からいったん消えて、ちょっと気持ちが楽になる。客観的になれるからだろうか。それに、「アイディアノート」は気が向いた時には日記にもなるし、夜なかなか寝付けなくて変なテンションになった時にはちょっとしたポエムを書くこともできる。それを朝読むと恥ずかしくて笑える。こうしてノートはどんどん厚くなり、大学三年になった現在も厚くなり続けている。今は読んだ本の感想を書いたり、レポートに使えそうな面白い題材を書いたりと、まじめな使い方もしている。上級者になると「アイディアノート」をこんなふうに活用できるのだ。高校生の時のノートは見返してもたいていしょーもないことしか書かれていないので、さすがにレポートには使えないが、こんなこと考えて生活していたんだなと思うと夢中で読み返してしまう。これからも続けていったら、ある日思いついたアイディアが未来の自分を助けてくれるかもしれない。だから今日もとりあえず思いついたら書いてみる。ただ注意したいのは、「アイディアノート」をどこかに忘れたり落としたりしないこと。これを誰かに読まれたら穴があったら入りたいでは済まない。掘って掘ってブラジルまで行って、もう読まれた人とは会わないようにしないと生きていけないくらい恥ずかしいから。

52期 吉原

『Let's go 温泉!』


岳文会の山行後の、ほぼ毎回のお楽しみ。それが温泉である。というか温泉に入りたいがために企画に参加する人もいるくらい重要なイベントだ。その頻度たるや、アウトドア系温泉サークルといっても過言でないのではなかろうか。

さて、今回はその温泉の入り方についてちょちょっと述べたい。ひとそれぞれ好みの入浴方法があるだろうが、温泉は公共の場。そしてサークルとして入る以上、最低限のマナーは心得ておくべきであろう。それでは、今さら聞けない入浴作法、はじまりはじまり。

①湯船に入る前に体を洗う
まあ当然だろう。特に山行後などは体は汗や泥でけっこうひどいもんである。内面の汚れとかはどうしようもないが。共用の浴槽を最低限キレイに保つため、しっかり洗うべし。
②シャワーを体から離しすぎない
つまるところ周りにかからないように。バシャバシャ。
③使った桶、イスはかたづける
これは自分もあまり意識していなかった。次にすぐ使う人がいないなら、きちんと片そう。
④タオルを浴槽に入れない
これも岳文では皆普通にできているが、気をつけるにこしたことはない。
⑤広がり過ぎない
あんま大勢で広いスペースを占拠しないってこと。仲良く集まってはいろうや。
⑥サウナから出てすぐ湯船はNG
普通に考えて汗まみれなので当然。水風呂があるとこならかけ水がオススメ。また気持ちいいんだコレ。自律神経にもよろしい。
⑦体を拭いてあがる
これはひどい。徹底されてない。自分もうっかりやらなかったことがあるが、脱衣所がびしょびしょになる。タオルを絞って体を拭くだけなのでちゃんとやろう。

殆どの人は、んなこと知ってるよ!なことばっかなので、できてなかった人はこっそり直すべし。ちょっとググれば他にも色々出てくるので、興味が湧いたらさらに調べてみてもよいだろう。

ところで、自分はぶっちゃけそこまで温泉好きでもない。高いし。他の人に気使うし。全裸に自信があるわけでもないし。だがそんな自分だからこそ、こうした機会でもなければ公共浴場の世界には触れることは無かったであろう。人生は経験だ。ありがとう岳文会。

53期 涌井

『夏の思い出』


私は幼少期を栃木県今市市(日光市)で過ごしました。四方を山で囲われた私の家にはクーラーなどありませんでしたが、L字型で夏でも風通しがよく、とても住みやすい家でした。

夏休み、いつもの遊び相手である幼馴染と一緒に家の近くの山の中を流れる川へ冒険に行くことを思いつきました。長靴を履き、木の棒を片手に上流に向かって川の中を進んでいきました。

どれくらい歩いたでしょうか、突然川が開けたかと思うと、前方に竹林が現れました。竹の間から差し込んだ太陽光の筋が幻想的な雰囲気を醸し出し、まるでおとぎ話の世界を見ているようでした。それまで半ば興奮ぎみにひたすら足を進めてきた私たちでしたが、次第に知らない場所に来てしまったことが怖くなり、急いで家に帰りました。

翌日、どうしてもあの竹林が気になった私は、一人で川の入り口までやってきたのですが、すぐにおかしなことに気がつきました。川が昨日までとまるで違っているのです。川幅は昨日の3分の1ほどしかなく、川辺の木々が川の中央へせり出していて、とても子供が入っていけるようなところではありませんでした。当時の私は『あ、川変わっちゃった』くらいにしか思いませんでした。以降、その川へ近付くことはなかったため、今となってはあの時のことが現実だったのか夢だったのか分かりません。

竹林のことは1つの夏の思い出ですが、子供は大人の知らない時間の中で生きているのではないかと思うことがあります。特に子供のころの夏は、永遠に続く時間のように感じていました。上手く表現できないのですが、あの日々には何か特別な色のような、匂いのようなものがあった気がします。

突き抜ける青空に浮かぶ入道雲、じりじりとした厚さ、目を細めるほど眩しい太陽光、夕方になると鳴きだすヒグラシの物悲しげな声…。

日中は外で遊びまわり、夜は家族みんなで食卓を囲み、たわいもない話をしながら母の作ってくれた夕食を食べる。毎日が楽しかった。一日一日にひと夏のドラマがあった。やってくる夏はあの頃と変わらないはずなのに、もうあの夏に戻ることはできない。この季節になると‘あの夏’に思いを馳せては切ない気持ちになることがあります。

54期 長谷川

『一期一会』


新歓期から3か月という月日が経ちました。時間の流れは本当に早いものだなと痛感している今日この頃です。

岳文会との縁が初めて繋がったのは新歓期も終わりの5月下旬頃。何のアポもなしに突然部室に押し掛けたのが始まりでした。嫌な顔ひとつせず親身に写真を交えてお話して下さったのを今でも鮮明に覚えています。岳文会の第一印象は「親切、賑やか、自由奔放、個性強め」でした。他の登山系サークルにもいろいろと回りましたが、「あ、ここだ」と瞬間的にピンと来たのは今思うと岳文会だけだったような気がします。

岳文会は100人という大所帯にもかかわらず、一人ひとりの個性が自然な形で生きているサークルだなぁと常々感じています。みんなと関わろうという積極的なメンバーの姿勢がその形を作り出しているのでしょう。大人数であれば、グループ化して一部のメンバー以外名前さえもよく知らない、ということは珍しくありません。それがないのは100人分の出会いをメンバー一人ひとりが大切にしているからだと思います。「人の出会いは一期一会」この言葉はまさにその通りだと思います。一人の人との出会いの尊さは何にも置き換えられません。ましてや100人ともなれば、殊更です。山行を始め、様々な企画や毎週の定例会を通じて色んな人の新しい一面をその都度発見します。話をした分だけ、同じ時間を過ごした分だけ、岳文会の人の魅力に取り込まれていっている気がします。一大イベントの夏合宿まであと僅か。夏合宿を終えた時、きっと今よりももっと岳文会が好きになっていますよね。

何に導かれて岳文会に集ってきたのでしょうか。新歓期のあの時に勇気を出してドアを叩いていなかったら、先輩方が快く部室に迎え入れてくれなかったら、この出会いはなかったかもしれません。偶然の積み重なりが生んだ岳文会との出会いを何よりも大切にしていきたい。前期の終わりを目前に控えた今、色々と振り返ってみてそう強く感じている毎日です。

54期 奥野

『浪人』


落ちた時のことはあまり覚えていない。母親が不合格の知らせを聞いて目を真っ赤にしていたことと、父親から励ましのメールをもらって一人で情けなく泣いていたことは覚えている。なぜもう少し真面目に勉強しなかったのだろうという後悔の念がずっと頭の中で回っていた。一応受かっている大学もあるにはあったが、どうしてもそこに行く気にはなれず、その後数日の間は茫然自失として無駄で無益な日々を過ごしていた。このままでは確実に悔いが残ると思い、僕は浪人を決意した。両親は浪人に否定的だったが、意外なことにあっさりと浪人を認めてくれた。

予備校は、香川県にある高松高等予備校、通称「高予備」に行くことに決めた。四国には駿台などの大手予備校がなかったことも高予備にした理由であったが、なにより高予備には格安の直営寮があった。名前は仏生山寮。これは家だとすぐさまだらけてしまう僕にとってはかなり大きかった。6時半起床、11時半就寝、門限5時、夜間は必ず強制自習、予備校で授業がない日は朝も強制自習、11時20分になったら携帯は強制回収、娯楽の類(漫画・ゲーム等)は一切禁止という寮則で、監獄と言われることもあった。 初めて入寮したときはとても緊張した。寮内に顔見知りは誰もいなかった。一人で朝飯を食べ、暇な時間は部屋でぼうっとしていた。初めて寮生と会話したのは風呂場だった。髪を洗っていたら唐突に話しかけられた。妙に安堵して思わず笑ってしまった記憶がある。その日風呂場では今まで沈黙していた分、嬉しくてたくさんしゃべった。これを機に僕は寮生と一気に仲良くなった。たまに諍いはあったが皆いい奴だった。

W杯はテレビがなかったので友人と共にラジオで聞いた。「それでは本日のハイライトをお聞きください」のフレーズは今でも僕の耳に鮮烈な印象を残している。娯楽は確かに禁止されていたが、やはり禁を破るものが続出した。漫画やDVDプレーヤーがいろんな人の手に渡った。男しかいない寮内で少女漫画「君に届け」の貸し借りが横行したり、ジブリ映画「耳をすませば」の鑑賞会が開かれたりした。一月一日、元旦の真夜中には仲の良い3人で初詣に出かけた。そのころにもなると寮からの脱出ルートは確立されていて、容易に外へ抜け出すことができた。雪が降る中、自転車で神社まで疾走した。神社では目前に迫ったセンター試験の成功を願った。甘酒はあんまりおいしくなかったが、温かかった。

受験が終わり退寮するときには久々に泣いた。一年間寝食を共にした友人との別れは思ったよりつらいものだった。ここまでかけがえのない関係となる友人に巡り会えるとは、入寮当初には思いもよらなかった。そう考えると、あの一年間は決して回り道なんかではなかったと思う。浪人も悪いもんじゃない。

そして今年、僕はこの岳文会に入った。この先自分に何が起こり、どんな体験をするのかはさっぱりわからない。だが、昨年のように、岳文会での日々を過ごすにつれて、入会当初には思いもよらなかった風景をきっと見ることができる。そう信じてやまない。

54期 那須

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『台風』


そろそろ台風がたくさん来る季節に入る。
個人的に台風というのは好きである。好きというよりはわくわくするというのが正しいだろうか。強く打ちつける雨や何もかもふっとばす風にわくわくするものだ。さて、台風が来ると僕の住んでいた所では田んぼは池となり農業用水路から水が大量に溢れ出す。小学生だった頃はそんな田んぼの畔道を通ったり、水が溢れ出している水路の上を自転車で走っていた。これがなかなか楽しいが当然ながら大変危険な行為である。よく死ななかったものである。そんな台風だが個人的に1つ気に食わないことがある。

夜のニュース「台風は依然強い勢力を維持したまま、明け方には東海地方に最も接近するでしょう。」

自分「やったー。明日の朝は大雨・暴風警報発動で学校は休みだ。」
(静岡県では大雨警報と暴風警報の2つが出ていると学校は休校になる)

次の日の朝。

朝のニュース「台風は東海地方を深夜のうち通過し、太平洋に抜け温帯低気圧に変わりました。」

自分「((゚皿゚))嘘でしょ…」

というように、次の日起きたら快晴だったというのは本当に凹む話である。
台風さんもうちょっと遅くにきてくださいよ。

54期 高木

『自力本願。でいたいよね』


"I am the master of my fate. I am the captain of my soul." 最近見た映画の中にでてきたセリフです。同期のT田君にもわかるように訳すと“私が我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ”という意味です。自分になかなか厳しくできない僕にとって、この言葉はすごく印象深かったです。何か上手くいかないことがあった時に周りの環境のせいにすれば、すごく楽です。でも、それは間違っています。そのような状況に自分を導くのもまた自分です。自分自身の頭で考えて、自分の意見を持って行動することがすごく大事なんだと思います。下を向いて生きていくか、上を向いて生きていくかは自分次第なんだと、この言葉を聞いたとき強く認識させられました。

だから、土曜日の授業サボって麻雀していたのも僕の意志が弱いからいけないんです。平和にリーチをかけていると思ったら、出席ぎりぎりで語学再履っていう役満にリーチをかけていたのも僕が大学の授業をなめていたからいけないんです。周りのせいにする気はさらさらありません。というより、できません。完璧自己責任です。前期の成績が返ってきたとき、僕は頭が地面にめり込むくらいの勢いで親に土下座をしているかもしれません。

でも、この映画の中で次のようなセリフもあります。“The past is the past. We look to the future now.”これまたいい言葉です。過去は過去。たとえ単位を落としていたとしても過去のことなので気にしません。今更、後悔してもしょうがないです。だから、僕は未来だけ見て生きていこうと思います。
というわけで、岳文の同期、先輩方!後期は僕と一緒にフル単目指して頑張りましょう!!

54期 西津

『私からの密かなお願い』


9月、久しぶりの帰省をした。五カ月ぶりの地元は思っていたより変化が無かった。友人の話によると、新しくできた店はないが順調に潰れていたり移転していたりということ。自分の知らないような地元の町を歩きたいと思っていた為、変化がないことは少し残念であった。

しかし何か違和感があった。変化の無いはずの地元と自分との間に差がある。ならば何が変わったのか、自分であることは明らかであった。
理工学部に入って変化したのか?否、岳文会に入って変わったのである。
このサークルには様々な人が集まる。この短い期間でも私は色々な人に出会った。明るい人、不思議な人、真面目な人…。こんな面白い人ばかりの集団はそうそうないだろう。そしてその一人一人、必ず一つは私にとっての憧れの部分があるのだ。
例外はない。全ての人に憧れの部分がある。その部分を自分で受けとめて、できる限り吸収してこようとしてきたこの数カ月。それが私を変えたのではないかと思う。

昔よく歩いた駅前通り。そこを歩いていて感じることは、「少し、成長できた」。なりたい自分にはまだまだ遠いけれど、それに近いものを持つのが岳文会のメンバー。これからも密かに憧れ続ける予定なので、あまりこの部分には触れないでいただきたいです。特に、どこに憧れているの?などと聞かないでいただけると嬉しく思います。

54期 石沢

『おろしやこく』


私、ロシアに住んでいたことがあります。

皆さんはロシアと聞いて何を連想しますか?
なかなか具体像は思い浮かばないでしょう。
そこで、力不足ながら私が肌で感じたロシアを紹介したいと思います。

初めてロシアの空港について真っ先に思ったことは、今でも忘れません、
「あ…………………日本に帰りたい。」
太陽の光を遮断するどんよりとした分厚い雲。車の排気口に鼻をつけているのではないかと錯覚するほど排気ガスの匂いが一面に広がっていました。足元は土を含んだグチョグチョの雪。景観は最悪。な、なんて陰鬱なところだ…………
道ゆく人は無愛想極まりなく、笑顔はどこにも見受けられません。
最も強く抱いた印象は、そう……「笑顔のない国」です。
ソ連時代の働く時に笑ってはいけないという習慣が根強く残っているようで、おもてなし大国日本から来た私にとってはとてもショックなことでした。受け付け行ったって、レジ行ったって、店員に話しかけたって、みんなムスッとしてるんですもの…
なんて冷たい人たちなのだろかとずうっと思っていました。
しかし、一歩踏み込んでみるととても愛情深いことに気づきます。
私は、運転手のイーゴリと掃除婦のワーリャさんとしかロシア人との交流がありませんでしたが、二人ともいつもニコニコとして、私たちのことを大変かわいがってくださりました。プライベートではこうも陽気で心優しい人達なのだと気付くことができました。

また、ロシア人の美意識の高さにはいつも感服させられました。歴史ある美術館や博物館、世界最高峰のボリショイバレエにオーケストラ。まさに高級でゴージャス!!!貧乏な人からセレブまで隔たりなく、休日にはめいっぱいのオシャレをして足を運ぶ姿が印象的です。
そう、オシャレと言えばロシア女性は例外なく皆美しい人ばかりでした。すれ違う人皆モデル…………
しかも金持ち日本人男性はモテるモテる。日本での出会いを諦めた方にはオススメします。
女性陣の皆さん!!!いまひょっとして何か期待しましたか???チッチッチ、ロシア人男性は正直とても残念なかんじです。きまってジーンズと白Tに黒の革ジャン。首には何故か金のネックレス。髪の毛は脂っぽく総体的に薄気味。魅力的であるとは言いかねます。

冬がどれくらい寒いかですって??私が経験した最も低い気温はー30度!!!((極寒
肺を鍛えていない私にとってあの鋭く冷たい空気はまるで針を飲むようで、息ができませんでした。鼻の中はすぐに凍り付き、つまむとパキパキパキパキっとなにか折れる音が……(笑)しかし、鋭い寒さの中にも美しいものはあるもので、目視できるほど大きな雪の結晶が肩に積もっている事に気づきました。手にとると、わずかに残った体温で儚く溶けゆく結晶は、幻想的でいつまでも見飽きる事のなかったのを思い出します。

まだまだ常識(日本人の)破りなロシアの一面については紹介できていませんが、字数も大幅に超えたことですし、
今回はここら辺でお暇します。

ロシアは、大変住みづらいところでした。それでも、なんとなく愛着も湧いて来る国であったような気がします。
え??もう一回行ってみたいかって??
それだけは絶対に嫌でござる!!!!

54期 齋藤

『友達』


僕には尊敬できる友達がいる。
そのうちの一人(Kとしよう)を紹介しようと思う。
Kは高校の友達…いや、親友だ。サッカー部で三年間全力で活動していた。彼のことを本当に尊敬できると思ったのは受験のときだ。
Kは特別に頭がいいわけではなかった。その上サッカー部は順調に勝ち進み、本格的に受験勉強を始めることになったのは9月。現役での志望校合格は絶望的だった。

しかしKは決して諦めなかった。彼には、"理学療法士になって経験を積み、将来的にはサッカーのトレーナーとして活躍する"という具体的な夢があったのだ。第一志望は首都大学東京。理学療法学科がある数少ない国公立大学である。
Kは公募推薦を狙っていた。それにはまず前提条件として、評定平均4.0以上が必要である。
しかし、彼の成績は二年の時点ではギリギリ4.0には届いていない。三年の成績にかけるしかない状態である。
結果はなんとジャスト4.0。ひとまず安堵…すらできない状態であった。一つの高校から、一人しか公募推薦をとらないのである。誰かKの他に一人でも志望者がいれば、ギリギリの成績である彼の敗北はほぼ確実だ。

ここでも神は彼を見放さなかった。他の志望者は現れず、見事受験の権利を得たのである。
しかしここからが本当の勝負だ。入試の倍率は約6倍、小論文と面接で合否が決定する。正直厳しいんじゃないかと思っていた。
Kはこの推薦で落ちたら浪人だと話していた。周りが勉強に本腰を入れている中、面接や小論文のみひたすらやり続けるのは不安もあっただろう。でも、彼は自分の道を信じて突き進んだ。

そして迎えた本番。小論文は今までで1番うまく書けたが、面接で若干ミスったのが心残りだと彼は話していた。合否発表までの2週間は1番辛い期間だっただろう。
発表当日、Kからの電話があったのはちょうど自習の時間であった。

"受かった"

泣きながら話すその声を今も鮮明に思い出せる。良かったな!Kの思いが伝わったんだよ!と、賞賛の声を送ってもずっと"実感わかねぇ"、"わかんねぇ"と泣きながら繰り返していた。
本当に実感がわかなかったのであろうが、今ではネタである。
"K受かったって!"
などと友達と騒いだせいで、先生に怒られたのは良い思い出だ。
受験を間近に控えているのにも関わらず、自分の事のように嬉しかったのを覚えている。夢を持つということは良い事である。夢を持っていない事がダメだと言っているわけではない。しかしKが第一志望合格を掴めたのは、明確な夢を持っていたからだと思う。夢を持っている人は強い。推薦入試は彼のような人のためにあるんだと実感した。

僕は、夢に向かって進む彼を本当に尊敬している。
そして、彼の夢に負けないような立派な夢を探すために、今日も早稲田大学に通っている。

通学中の電車にて。

54期 今濱

『とり』


先日東西線のホームで「こんな人を見た」という題名のポスターを見てとても懐かしい思いに駆られました。
ルリコシボタンインコというインコを吉田家では10年前まで飼っていたのですが、そいつが件のポスターにのっていたのです。
非常にかわいいので興味のある方は是非調べてみてください。
しかしそのポスターを見た次の日、インコのポスターは猫のものに貼りかえられていたのです…。

私は以前より鳥が世間から軽んじられていると感じていました。世間では犬か?猫か?という問いがなされますが、私は断然鳥派を主張していきたいです。よく鳥は止まり木に止まって鳴いているだけだという声を聞きます。
しかしそれは犬派(犬ってネコ目イヌ科らしいですね。分けわからん…)と猫派によって形成されたステレオタイプであって現実とはかけ離れています。鳥は犬のように賢く、猫のように可愛く、そして両者に劣らず感情表現が豊かな生き物なのです。

 そんなことに気づかせてくれたのは星になったルリコシボタンインコのぽんちゃんと今も元気すぎるワカケホンセイインコのきゅうちゃんです。きゅうちゃんの御尊顔を拝見したいあなたはこのままwikipediaのワカケホンセイインコへGO!なにを隠そう、この写真は我が家のきゅうの写真をUPしたものなのです!

54期 吉田

『みなさんもご一緒に』


最近まで僕がハマっていた遊びがある。その名も「チキン睡眠レース」
せっかくなので紹介しよう。

ルールは簡単、その日いつまで寝ていられるのかを競うのだ。
早く起きて大学に行かなくてはいけない、しかし起きてしまったらゲームオーバー。
その駆け引きを楽しむのである。
これがくだらないようだが、なかなか面白い。
「早く起きないと遅刻してしまう」という緊張感の中で寝るのがたまらなく気持いいのである。1限に必修があるとなおいい。
目指すは自己最高記録。つまり、「己に克つ」というのがこのゲームの目標なのである。
昨日1限まで寝ていられたのなら今日は2限まで。昨日10時まで寝ていたのなら今日は11時まで。
そうやって自己記録を更新していくのだ。

ちなみに僕はもうこの遊びを極めてしまった。
記録をもう更新できない域まできてしまったのだ。マスターと呼んでほしい。
最近なかなか大学に現れないのはそのためである。

何時でも何処でも誰でも出来るという気軽さがこの遊びのウリである。
某SNSゲーのような課金もない。
問題が1つだけあるとすれば、メリットがなにもないということである。
みなさんもやってみてはいかがだろう。

54期 塚田

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早稲田大学 岳文会 Since1960