早稲田大学公認登山サークル 岳文会

コラムバックナンバー
2008年度コラム
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『新しい友達』


私は西武新宿線の沿線の田無というところに住んでいる。
田無…なんとも幸が薄そうな名前だ。しかも家までは駅からまた20分ほど歩く。
なぜここに住もうと思ったかと聞かれても理由はない。完璧に流れである。レオパレ○のお兄さんに流されたのである。
前期が始まってまだ真面目だった私はすぐに田無に住んだことを後悔した。眠い。遠い。1限に出れない…。
しかし契約上半年は引越しできないので、兄から受け継いだ愛車のメルセデス(自転車)をブイブイ言わせながらがんばっていた。
そうしているうちに私の家の近くに駅まで続く「ふれあいの小道」という歩行者と自転車専用みたいな道があるのだが、私はその道をメルセデスで駆け抜けるのが大好きになった。
頬をかすめる風が気持ちよかった。メルセデス、私たちずっと友達だよね…☆しかしある日何者かにメルセデスが誘拐された。
無断駐輪を覚えた私に天罰が下った…ジーザス!!お許しください。
その日からまた私の時間との戦いの日々が始まったのであった。

結局何が言いたいかというと、最近新しくまた自転車を買いました。メルセデス2号です。
田無も今はクリスマス一色。美しいイルミネーションで華やいでいます。是非田無にお越しください。
電話1本で、木村が愛車のメルセデス2号でお迎えに上がります。
最後になりましたが、「ふれあいの小道」も夜は危険です。女性の方はお気を付けください(´・ω・`)

51期 木村

『柔軟性』


めんどくさがりやな僕ですが、高校一年から続けられていることがあります。それは「ストレッチ」です。
もともと小さい頃から体が柔らかい方だったのですが、股関節だけがとても硬かったので、なんとな~くストレッチを始めてみました。
始めてから一年、まったく柔らかくなる気配がなく、「痛い痛い」と言いながら柔軟をする僕をみて母や姉は「ばかじゃないの?いい加減やめたら」とか「無駄無駄」など散々僕をけなしにしました。
しかし始めてから二年、受験の真っ只中にも関わらずやり続けた努力が実り始め、少しずつ足が開くようになってきました。
始めてから三年、今も開脚180度を目指して毎日ストレッチを欠かさずやっています。

50期 小林

『人にやさしく?』


人にやさしくするって難しいや。いきなり何ほざいてんだとか言われそうだが、自分は本当にそう思うなあ。
もちろん、うわべだけのやさしさを見せるのは簡単だよ。誰か困っている人を見つけては可哀想だとか言ってるだけでいいんだからさ。
だけど、こういうのって実はなにもしないより性質がわるいかもしれないね。言ってる本人は気付いてないのだろうけど、結局自己満足じゃないかな。
わたし、あるいは僕は可哀想な人を見つけたけど助けることはできない、でもそれじゃ気分が悪いからとりあえず言葉にしとこう。これなら、何もしないよりましでしょ!ってところか。やらない善よりやる偽善っていう言葉があるけど、そりゃないよ。
でも、なんでこんなこと書いたかっていうと昔(今もかも?)は恥ずかしながら自分もこんな人間だったから。
高校時代、部活で後輩に指導していた時なんかも自己満足全開だったなあ。後輩に教えている自分に酔っていい人気取りだったと最近気付いた。
俺はそいつのためを思って教えてやってるって、おい相手のことはおかまいなしかい。ちょっとは相手の考えを聞いてやれよと今なら思う。
人にやさしくってのは自分だけじゃなくて相手もあってこその話でしょ?そういうわけで最近人にやさしくとは、本当はなんなのかを考えてる。
例えば僕のM-1のパートナー、花見が脱ぎたいなどと申したとき彼の個性と思って認めるべきなのか、それとも彼の将来について考えて、やめさせるべきかは難題である。
エゴや自己満足じゃないやさしさって何だろう?答えは簡単に出そうにないな、ないのかもしれないね。

ここまで長い駄文を読んでくれたあなた、ありがとうございます。もしこの文章がやさしさとは何ぞねと考えてくれる機会になってもべ、別にうれしくなんかないんだからね!
はい、すみません。うれしいです。とっても。
おわり

50期 関

『継続は力なり』


私が大学生になってずっと続けていることの一つに、コンビニのアルバイトが挙げられる。
深夜勤をやったり朝勤をやったり、またファ●リーマートで働いたりロー●ンで働いたりと時間帯やフランチャイズは転々と変えているが、コンビニのアルバイトという一つの枠組みで見れば仕事を継続しているといえるだろう。

コンビニの仕事を始めた当初は本当に苦労した。まずレジを打つことが初めてであったし、袋詰めさえろくにできなかった。それに何よりコンビニで扱うサービスは多種多様である。
皆さんが知っての通り、要領が悪く、そして注意力散漫な私である。仕事をひととおり覚えるだけで精一杯。
実際、全て覚えてしまうまでには随分時間がかかったし、何度も何度もミスをした。おつりを渡すときに千円札を一枚余分に渡したり、焼き時間を間違えてパンを炭に変えてしまったり、ポイントカードをスキャンし忘れたりと数えあげれば本当にキリがない。
なかなかスムーズに仕事ができない自分、そしてミスばかりしている自分に凹む日々が続いていた。
店長には仕事に入るたびに怒られ、新商品の棚作りやポップ作り、発注業務等の仕事は他の店員は任されているのに私には声さえかからなかった。自信が持てず、ただひたすら辛くて「もうやめたいかも」という気持ちになる時もあった。

しかし、その一方で「いや、ちょっと待ちな」とストップをかけていた自分がいた。
ここでやめてしまったら、自分に対して「負け」を認めることになる。この先どんなアルバイトに就いても、またアルバイトだけでなく他のどんなことと向き合うにしても、その度に自分の弱さに負けてしまいそうで怖かった。
それに周りから、「できなかったからやめるなんて、こいつ根性がない人間なんだな」と認識されることにも耐えられそうになかった。
「そんなの悔しい。負けたくない!!」辛い時、自分を突き動かしたのはこの気持ちであった。要は負けず嫌いなのである。

ミスを重ね、でも次は絶対同じ間違いをしまいと心に誓い、わからないことがあればその都度店長や他の店員に聞いて吸収していった。
それを続けた結果、私は確実に仕事をこなせるようになっていった。スピードも上がり、レジ打ちにしても袋詰めにしても、また伝票整理にしてもコツがつかめてきた。
お客様から「どうもありがとね」と笑顔でお礼を言われるようになった時は本当に嬉しかった。自分の仕事は感謝してもらえるほど役に立っているのだ、と認識できたからである。
できるようになればなるほど、私は仕事にやりがいや楽しさを感じるようになったし、その前向きな気持ちがさらに上を目指したいという欲求につながっていった。

コンビニのアルバイトを始めて一年半が過ぎ、そしてもうじき二年が経過しようとしている。
今やコンビニ論とも言うべきか、コンビニに対する持論を展開する(しかし、たいていの場合聞き流されてしまうのがオチである。きっと蘊蓄と思われるのだろう。)ほどこの仕事が好きであるし、この仕事に誇りを持っている。
そして仕事先では新しく入った子に指導する立場になった。二年近く続けてきて思うのが、やはり「継続は力なり」なのである。
仕事を通し、自信だとか物事に対するこだわりだとかマナーだとか、自分に対してプラスになるものをたしかに得ることができた。これは続けなければわからなかったはずである。辛くてもやめないで本当に良かったと思う。
これからも続けてさらに極めていきたい。そして同じように、サークルの方でも「頑張ってきて本当に良かった」と心から思える一年にしたい。
そのためにも、広報の仕事もサボらず取り組まねば…と思わずにはいられない今日この頃であった。
はい、更新頑張ります!

49期 佐藤

『観察』


皆さんは、お元気ですか?
私は現在,留年の危機を迎えています。3月1日が怖いです。
卒論が危機的状況です。そして卒論の危機を脱しても,1単位足らずに留年するかも知れません。冗談の類ではありません。「本気」と書いて「マジ」と読むくらい本気です。
 どうか、皆さん怒らないでください。無理だと思うけど・・・・・・orz(1月27日現在)

さて、皆さんは博物学という学問をご存知でしょうか?
博物学は広義には自然科学全般を指し、狭義には動物・植物・鉱物・岩石などの自然物の収集及び分類を行う学問のことを指します。
自然物を収集・分類することは、古代ギリシャの時代にはすでに行われており、アリストテレスの『動物誌』、プリニウスの『博物誌』などが知られています。
博物学の作業としてまず最初に来るのは、自然物の採集と観察・記載。次に分類およびその同定です。
観察・記載を正しく行わないと同定や分類も正しく行うことが出来ません。
そのため、物事をきちんと観察・記載を行うことは博物学者たちにとって非常に重要なことでした。

19~20世紀になると科学の進歩により、一般化・体系化が科学的方法論の主流になっていき、博物学が旨とする収集・分類・記載は傍流となっていったのです。
そして現在では博物学という学問自体は存在せず、自然科学研究のひとつの方法として博物学的研究というのが残されているにすぎません。
ですが、博物学的研究は自然科学の基礎研究としていまだに重要な研究方法となっています。物事をきちんと観察することは何時の時代になってもその重要性は変わりません。
この3月で岳文会を卒業する私の気持ちとして(大学を卒業できるかは別として)、最後に一言。
組織というものは常に変化します。変化することは良いことであり、悪いことでもあります。
変えるべきこと,変えないほうが良いことを見極め、まだ見ぬ51期と共に岳文会をよりよく変化させていってください。

そのためには、物事をきちんと観察すること。
それが大切です。

p.s.良い子のみんなは5年生になっちゃダメだぞ!

47期 沢辺

『only human』


ただの、ひとりの人間です。
でも、

ただ、ひとりの人間です。



人として生きて、人として死ぬ。


それが全てだと思いました。



p.s.
コラムのネタを考えてるうちにこうなりました。
ご了承ください。

47期 佐平

『エピタフ』


経済学を意味する「エコノミクス」という言葉は、共同体のあり方、という意味のギリシャ語の「オイコノミコス」から来ているそうだ。
個人としてだけでなく、みんなでどのようにしたら幸せになれるのか、そういうことを考える学問が経済学の始まりなのである。
4年間この経済学というものを学んできたわけだが、正直身に付いたかどうかは疑問だ。
相変わらず数字は苦手だし、代表的な理論とかもほとんどが忘却の彼方である。
そんな忘却の連続の中を見事生き延びて、私の記憶の中にまだ留まっている経済学の内容に、一つ面白い例え話がある。

イメージしてもらいたい。今ここに自転車に乗った主人と飼い犬がいる。
主人は、例えばこのコラムの右から左にかけて移動する。飼い犬は、主人の2、3行くらい下の中央部から主人を追って走りだす。
犬は最初主人のいる右の方へ一直線に走るが、主人の方も自転車で左に移動しているので、次第にこのコラムの上の方へ進路を変える。
犬が追いつく前に主人は更に左に移動するため、今度は犬は左に折れ主人の背中を追うようにして走り、結果としてひらがなの「つ」のように大きく曲がりながら追いつく。

これは「短期下の合理的行動が長期の不合理を生む」という説明に使われた比喩である。
犬は主人に追いつく最短距離を一直線に走っていたはずが、結局随分大回りをしてしまった。
しかし私達は犬ではない。自転車に乗った友人がいれば、その進路に先回りして追いつくことができる。それは相手の動きが大体予測できるからだ。
予測できるということは、日常的に行なっていることでありながら実は非常に大事なことである。
それは「主人の動き」を予測する点だけでなく、追いかけている「自分の動き」を予測する点においても同様に重要である。
自分の行動がどういう影響を与え、どういう結果に至るのか。
春になり新入生と接していく中で、自分の行動が思いがけない事を引き起こすこともあります。
足元ばかりに目を向けて歩くのではなく、ちょっと目線を前に向けてみるのはどうでしょうか。

最後にある偉い人の言葉を借りて終わりたいと思います。

「戦いとは、常に二手三手先を考えてするものだ!」  シャア・アズナブル

追記:泥酔と試験前の現実逃避は明らかに長期の不合理を生み出していると思う。反省。

47期 杉田

『まぁ、人それぞれだけど』


先日R25のコラムでこんな記事を読んだ。
目的よりも先に形がある。
もっと言えば、形をなぞっている間に目的に達し、礼拝を続けているうちに宗教を信じるようになる。
確かに、人の言葉を真似しているうちに言葉を覚え、意味はわからなくとも、神道もキリスト教も仏教も生活の中に組み込まれているうちに受け入れていく。
どんな事にしてもきっと、初めのうちはものもわからず周囲の行動をなぞり、目的も何も宙ぶらりんなことが多いだろう。
目的に達するまでの、その形をなぞる行為を苦痛と感じるかもしれないし、諦めたいと思うかもしれない。
けれどその内に、その行為自体も、目的達成までの経過も、それからも、楽しんでいける。
そんな人生の過ごし方をしていければ素敵だ、と思う。

47期 山内

『学生時代って』


自分に限界を設定してしまうのも嫌だけど、自分の力を見誤って人に迷惑をかけてしまうのはもっと嫌です。
でも、自分の力ってどうしたら分かるんだろうか?
それを教えてくれるのは、これは死ぬ気でやったら出来る!と信じて突き進むこと、そして限界を思い知ること。
この2つの積み重ねだと思います。
学生時代は、そういう積み重ねが出来る限られた期間なんだと思います。社会に出れば許されないし誰もフォローしてくれないかもしれない。
お酒に限らず、仕事でも、勉強でも、人間関係でも、何でも。
この4年間で本当に自分の良い部分も、だめな部分も、底力も、限界とかもいろいろ思い知らされました。
それらはサークル、勉強をはじめいろんなところでもみくちゃにされながら思い知らされたことだけど、この先自分らしく生きるため、そして世の中で自分の力を最大限発揮するために知るべき大事なことです。
知ることが出来てよかったと思ってます。

だから、学生時代はいっぱいいっぱい位が丁度いいんじゃないでしょうか。

47期 井上

『写真』


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます!!そしてこの岳文会のホームページにアクセスしてくれて本当にありがとう!!

このサークルのメンバーは皆さんと出会えることを心待ちにしています。早くこの岳文会で一緒に楽しみを共有したいとウズウズしています。
せっかくこのサイトに来てくれたからには一通りページを眺めてみてサークル選びの参考にしてくださいね。

ちなみに僕はこのホームページが大好きです。何が好きって、フォトギャラが面白いんですよ!
たとえば、スポーツ大会。14枚掲載されている写真でスポーツをしている写真は一枚のみ!あとは全部コスプレ写真!!!(ちなみに岳文会はコスプレサークルではありません。断じて。)
何度見ても思わず吹いてしまう。おいおい、なんでバレーやるのに皆そんな非活動的なウエア纏ってんだよ!と思わずツッコミを入れてしまう。
それより何より写っているいる人たちの表情がとても豊かで見ていて楽しい。

フォトギャラ写真って人を惹きつけるんですよね。
岳文会という特異な集団の中で醸される人の営み。そこには人を楽しませようとするが故の努力、そしてそれを楽しむ素直な表情が溢れています。

その一瞬を切り取った写真ってとても貴重な代物だと思います。そこにはもう帰ってこない時間が凝縮されて新鮮なまま保存されるわけですから。

そう思うようになって以来、僕は企画では必ずカメラを持って行くようにしています。あるのと無いのとでは企画の充実度が全然違います。
そして企画後に自分の撮った写真がフォトギャラに採用される喜びは何とも言えないものがあります。

この春は新入生の皆さんの素敵な表情をガンガン撮れることを期待しています!

50期 廣前

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『快楽中毒』


僕は頭が痛くなるのが割と好きです。
といっても、阿子島やら花見が暴れて頭痛くなるような不快な類じゃなくて、要するに頭痛です。
実は二日酔いも、そこまでに至るプロセスの苦痛と後悔は置いておいて、頭ガンガンなのは痛気持ちいい感じで嫌いじゃないんです。
他にも、例えば何か考えごとがある時、よく壁に向かって逆立ちをします。
最初は頭部に血流がいきすぎて、物事を考えるどころじゃないんですが、ちょっとすると不思議な程落ち着いてきて、考えがまとまったりします。

でもこのような頭痛系も良いのですが、僕が一番病みつきなのは「ランナーズ・ハイ」と呼ばれるものです。
「ランナーズ・ハイ」とは、長い距離を走り、長期、反復的に不可避のストレスがかけられて精神が追い込まれた際、その苦しみを和らげる為に脳内麻薬物質が分泌され、快楽になる現象のことです。
長距離を走る時、毎回走る最初の3~4kmは本当に苦痛で、あと何kmでゴールだとか指折り数えるんですが、苦しさのピークを過ぎると、荒かった呼吸は静まり、体がふわっと浮くように軽くなって、どこまででも走れるような高揚した感じになるんです。
その快楽が中毒になってしまって、中,高,陸上をやり続けてきたようなものです。

だから、大学は所謂、「クライマーズ・ハイ」になれるかなと思って、このサークルに入った部分もあるんですが、残念ながら去年はその現象は起こりませんでした。
もちろん夏合宿始め、キツい思いは幾度もしてきたけど、登っている間、風景を楽しみながら皆とおしゃべりする事で、脳に過度のストレスを与えるに至らないからでしょうか。
そう思うとき、長距離走は終わった後に記録の楽しみがある個人種目だけど、岳文の山登りは登ってる最中も登った後にも楽しい記憶が残る団体活動なんだなと感じます。
まぁ、甲乙つけがたくどちらも好きですが…

で、今は、「ランナーズ・ハイ」の脳内麻薬による危険な中毒と同時に、また山に登りたいという健康的な中毒にかかっている最中です。

50期 岩田

『性格』


父親似、母親似ってありますよね。
私は、顔も、性格も、自他ともに認める見事な母親似です。逆に姉は見事に父親似なので、姉妹でも性格は全然違います。 面白いほど正反対です。
でもやっぱり、こういうところは父親似だって言えることがほとんどないのは少し寂しい気がしていました。(-3-)
でも、大学に入ってから気づいたことだけれど、私のお父さんは大学で合唱と登山をやっていたんだそうです!あらまぁそんなところで似ちゃいましたか☆これも遺伝かね??
とか言いながら、私にとって実はすごくうれしい発見でした。
偶然にしろ、自分が好きでやっていることを共感してもらえるのは幸せなことだし、全く違う人生を歩んでいても、大学で同じことやっているあたり、親子だよなぁって思えることが何よりもうれしいです。
つながり、って大切ですよね。岳文で出会った人、大学で知り合った人、何千とあるサークル、何万人といる学生の中で得られたこの出会いを、これからもずっと大切にしていきたいと思います。
 大学生は自分のやり方次第で、いくらでも可能性があると思うんです。
 やりたいことはなんでも貪欲にやって、後悔の内容に学生生活を過ごせたら素敵ですよね!もちろん無理ばかりしていては身が持たないけれど、頑張れば、頑張った分の成果って必ずあると思います。
 「頑張って頑張って、もうこれ以上はできないっていう限界を感じても、あともう一歩その先まで行って初めて見える景色があるから、それを目指して」と言われたことがあります。
あんまり自分を追い込むようなことはしたくないけど、自分の好きなことのためにやるなら、大変な時も乗り越えられるし、後から振り返って、あぁやっぱりやって良かったって思えるんじゃないでしょうか。
 だから、これからもやりたいこと、興味があること、どんどんやっていきたいです(^u^)
やる前からあきらめるようなことはしたくない!とりあえず、まずはやってみよう精神が大切ですよね♪こういう多少無茶してでも行動する性格も、父親の影響かもしれないなぁ。
テスト前日の日曜とかでも、家で勉強していると、「こんなええ天気やのに家にこもっとったら腐るで!ほら、出かけるぞ!」とか言っていろんな所に連れ出してもらっていたから。そう思うと、いいところ似たなぁ(^皿^)うふふ。

追伸。でも私はたまに無茶しすぎて暴走しそうになるので、無茶しそうになってたら誰か止めてくださいm(--)m

50期 種村

『自由な空』


私は、自由人です。
昔から「自由だね」「能天気だね」と何回言われたか計り知れません。
そんな私がこのサークルに入った動機は、「空を見たかったから」。
そんな小さなきっかけから始まりました。
再び山に登ってあの手が届きそうで届かない大きな空に再会できるときを楽しみにしている今日この頃です。

私は、空が大好きです。と言うのも、空以上に“自由”なものはないと思っているからです。

嬉しいときは晴れ、悲しいときは雨を降らし、ぼーっとしているときは曇って、怒っているときは雷を落とし、空元気なときはお天気雨を降らす。

とても自由ですよね。
でもこんな自由な空に対して私は尊敬の意を示しています。

さて、第二次世界大戦時にどんなに苦しみ、辛く、恐怖感で一杯でも、明るく生き、周囲の人までをも笑顔にさせた1人の少女がいました。
―アンネ・フランク。 当時15歳で命を奪われました。
彼女が隠れ家にひっそりと暮らしていたときに日記を書いていたのはご存知でしょうか。
光を遮られた隠れ家の窓からアンネはよく空を見ながら日記を書いていたそうです。
そんなアンネは「空になりたい」「空を飛ぶ鳥になりたい」と日記に記しています。

私は暗い気持ちになったときよく空を見ます。なぜか落ち着くのです。
空は何もしてはくれないけれども、自分が悩んでいることがあの偉大な空によってちっぽけに思えてくるのです。
そんな空が大好きなのです。

皆さんも落ち込んだとき1度空を見てみてください。
きっと“自由な空”が心を落ち着かせてくれるでしょう。

そんな空のように私もなりたい。
それが今のあたしの夢です。

50期 中村

『黒部』


今年も熱い夏が来る!!!最近、今年の夏合宿がどうなるのか気になってきた。たぶん、6月下旬ぐらいに夏合宿の班のプレゼンがあるだろう。去年の夏合宿の班選びには、ちょっとした思い出がある。

岳文会に入ったばかりから、ずっと黒部班の話をおもしろおかしく色々な先輩方から、聞かせていただいた俺は、男子校出身ということもあって、早くから黒部班にいきたいと思っていた。
そして夏合宿班プレゼンの日…黒部班のリーダーは矢部さん(47期)だった。
この時まで、一回も会話したことない方、外見少し怖い(他の人はそう思わないかもしれないが)、しかも4年生。
俺は、めっちゃびびった。本当失礼な話、この方と同じ班で楽しく思えるだろうかと思った。
第一印象だけで、ここまで思ってしまった、本当最低だ…。しだいに、気持ちは大好きな真さんがリーダーの燕常Ⅰ班に傾いていた。

来年以降に黒部班にいければ良いと考えた俺は、「第一希望・燕常、第二希望・黒部」と当時幹事長だった五十嵐さんに希望届けのメール送った。
俺は、「人」で班を選んでしまった…。俺は小中高と気の合う人、気の合いそうな人としか付き合ってこなかった。その習慣というか接し方がでてしまった。
せっかく、大学を卒業した時に、何か残るようなことを大学生活でしたいと考えて入学したのに、「人を選ぶ」なんてことをしていていいのかなぁとしだいに思い始めた。
黒部の先輩である岡部さんに「1年の時に黒部にいったほうが良い」というのも心に残っていた。
俺は、「第一希望・黒部、第二希望・燕常」と変更願いのメールを五十嵐さんに送った。結果…俺は黒部班に決まった。

そんなこんなで迎えた夏合宿であったが、終わってみれば最高に楽しかった。矢部さんとは夏合宿の時はもちろん、3月に先輩が卒業されるまでお世話になった。
はたして、黒部班じゃなかったら…たぶん、どこの班でも最高の思い出になったと思うけど、岳文会に対する接し方は今と全然違っていたと思う。矢部さんともそんなに深く接しずに、先輩は卒業なさっていっただろう。

「人」で班を選ぶなんていう、つまらないことはするべきではない。

50期 花見

『後悔』


突然だがこの原稿は二本目である。なぜか。それは一本目に失敗したからだ。
一本目の原稿に取り掛かる際もっと考えてから書き出すべきだったと後悔した。そこで後悔しないためにはどうすればいいんだろう。と昔からよく考えてしまうこと書いてみる。

僕は高校時代アメリカンフットボール部に所属していた。目標は関東制覇。
当時のOBがよく言っていたこと、「後悔はするな。」現役時代あまり実感のわかなかったこの言葉の重みは引退の日に嫌というほどに思い知らされた。
僕のチームはたった2点差で敗けたのだ。たった2点。関東制覇が見えていたのに、あんな所で敗北したことへの無念は一生僕についてまわるだろう。さまざまなミスプレーへの後悔もものすごかった。それくらい真剣にやっていたのだから後悔の念を断ち切れないのも当たり前だとも思う。
しかし、部活に入ったことについて一切後悔はしていない。なぜならもし入っていなかったら、味気ない高校生活を送り、確実に後悔したことがわかっているから。むしろあんな貴重な経験ができたことに感謝している。

つまり言いたいのは「やらない後悔よりやった後悔」ということである。
よく言われることだが、これはその通りだと思う。もし何か真剣にやりたいことがあったらやるべきである。とても単純な理屈だ。もし失敗したらそのつど後悔すればいい。そのほうがやらないで後悔するよりましだ。
絶対失敗できない!って人は…それはもうがんばれとしか言えないよね。けど常に成功するなんてありえないでしょ。僕は若いうちにたくさん失敗しておきたいと思う。

でも諺にもあるように後悔って先にはわからないんだよね。そのやりたいことに気づくのが後悔するのとほぼ同時だったらどうしよう…もうわかんないゃ。ねむい。ねます。

50期 大橋

『知ると言うこと』


私は将来、心理職に就きたいと思って大学に入学しました。「困ってる人の相談にのって助けてあげるー(・∀・)」という漠然とした意識。それだけで今の学科を選んだようなもんです。

しかし、いざ大学で臨床心理学を専攻してみると、当時の考えがいかに甘かったかが分かりました。
心理学は、研究を始めたら統計処理に追われ、複雑な計算式に頭を悩まします。英語の分厚い文献もばんばん読みます。習得しなければならない技法がたくさんあります。
私が臨床心理を極めるために、やらなくてはならないことの膨大さを知りました。
苦労の割に心理職は儲からない!・・・というブラックな部分も知らされました。
でもそこまでならいいんです。まだ軽いジャブです。
心理カウンセラーはシビアです。
たとえば医師がメスの入れ方ひとつで患者を死なせてしまう可能性があるように、心理カウンセラーだって言葉のかけかた一つで、うつ病患者を自殺に追いやってしまうかもしれない。
たとえばヘンな宗教集団の教祖、強姦事件の犯人、秋葉原の連続殺傷事件を起こした加藤容疑者に対してだって、なんの偏見も表さずに精神鑑定を行わなくてはいけないんです。
できますか?そんなこと。

趣味で心理学の本をぺラッと読んで友達からの相談に役立てる、というのならいいんです。楽しいです。
しかしその道を極めようというのなら、大変です(心理学に限ったことではないのですが)。どんなに勉強しても、勉強しつくせないことを思い知らされます。理想の境地と今の自分との距離に愕然とします。あるいはその道の現実を見せ付けられて、挫折したくなるときもあります。

     だからこそなのでしょうか。とくに「その道のプロ」と呼ばれている人たちは、たとえ自分の専門分野以外のことに対してでも、知るということに関してとても謙虚です。
何かを極めようと尽力した経験のある人は、いかに今の自分が、理想とする知識量のほんの一部分しか知らなかったかということを、思い知らされた経験があるからだと思います。専門以外の知識ならなおさらです。
私もときどきやりますが、誰しも「知ったかぶり」をして見栄を張ったり、その場を「知ったかぶる」ことでやりすごしたりしてしまいますよね。

  大事なことは、知ることに対して常に貪欲でいることだとひしひしと感じます。

そう気づいたときから本を読むようになりました。以前60冊強の新書をBOOK OFFに葬ったばかりなのに、もう部屋の本棚が飽和状態です。カオス通り越してビッグバンが起こりそうです。
そしてその本棚を眺めてうっとりしているようでは、私はまだまだ甘ちゃんです。

50期 萩原

『地球儀』


皆さんの家には地球儀ってあるでしょうか?うちには小3の時にサンタが置いて行ったといういわくありげなものがあるので、この頃はその地球儀を見たりしています。
地球儀の何が素晴らしいかって、自分の住んでいるところ以外の広い地球も一目で見えるところです。
そうすると、自分の住んでるとこって意外とちっちぇえなあって思います。世界って広いなあと実感できます。ちなみに総面積は5億1,007万2,000km2だそうです。

海外に行ったのはまだ1回で高校3年生の時にオーストラリアに行った時、その土地独特の雰囲気を感じて、自分で来てみないとわからない自分の知らないとこってあるんだなあと感動しました。
何の変哲のない1件のスーパーマーケットにしても日本とは違う売り方、品物、店の大きさなどをみつけられるし、入ってみないとわからない小さな路地にも、「こんなのあるのか!」って良い品物を売っている店があります。
これは頭でわかっているその土地のことではなくて、実際に行ってから感じる感覚です。
「世界不思議発見」とか「世界の車窓から」とか見てると、実際その土地に行ったような気持ちにはなるのですが、それだけでは何か物足りなさが残ってしまいます。
やはり映像を通じて感じる感覚と自分で言って感じる感覚とでは自分で言って感じた感覚の方が、断然、自分の心に残りやすいです。自分の世界を見る視点も広がります。

ちなみに昔の人は日本から中国に行くまでに何度も失敗を繰り返しつつ、大変な思いをして命と隣り合わせで海外へ行っていました(遣隋使etc)。
つい百年前ですら、地球の裏側ブラジルまで行くのに船2ヶ月もかけていっていたのに今ではたった1日、飛行機で行ける程近くなりました。
こうして今は飛行機にでも乗ってシュッと一飛びで落ち着いて海外へ行くことができ、自分の目で見れる世界が広がりました。
自分で見る世界が広がるってことは、自分の中に引き出しがどんどん増えていくということだと思います。
その引き出しを開けると、行った場所の歴史や行った時の感情が思い出せるというものだと思います。
こんな良い引き出しをたくさん作れたらいいなーと思って、地球儀を見て回してます。

50期 野尻

『新聞』


突然ですが、皆さんはニュースをどこから仕入れますか?
ネット?まぁ、ネットつないだらまずYahoo!ニュース見ちゃいますよね!テレビ?私はNHKが好きです。他にもいろいろ手段はあると思います。
でも私は断然、新聞派なのです。

私が新聞という類のものを楽しみにするようになったのは小学生新聞からでした。まだそのころは忍た●目当てでしたがf^_^;
いわゆる「新聞」を本格的に読み始めたのは確か、夏休みにスクラップの宿題が出たからだったかな。

いま我が家では朝刊・夕刊・スポーツ紙の3つを取っています。一人暮らしだとなかなかとることもないかもしれませんね。新聞って高いですし(―"―)
まぁ、言いたいのは新聞に接する機会が多くて嬉しいってことです。
コレに加え、政治経済学部なんて学部に入ってしまったので授業中でも新聞を扱うことが多いです。経済の授業では日経新聞が大活躍だし、政治はジャーナリズムと表裏ですから、新聞自体が研究対象って言っても過言じゃないと思います。
そういえばチャイ語の先生も元新聞記者だったな。たまたまか。。

新聞は苦手って言う人は多いみたいですね。正直言って、その気持ちはあんまり理解できません。
活字が苦手なのでしょうか?本当は私も活字自体は得意ではないのです。本は普段ぜんぜん読みません。たっま~~~に本を読みたい波が来て、新書10冊ぐらい買って読み漁りますけど、一月もしないうちに飽きて結局読みきれないまま終わります。
でも新聞だけは読み続けています。まぁ毎日違う記事だし、字数もはるかに少ないですけど。

新聞の何が魅力って、自分のペースで情報を得られることじゃないでしょうか。いったん新聞を手に入れさえすれば、せっかちな人はざっと読んでいけばいいし、じっくりさんはゆっくり読み進めてもいい。
読む順番も、手っ取り早く重大ニュースを知りたければとりあえず一面、昨日のあの試合結果が気になるっ!って人は一気にスポーツ面、今日は何か面白い番組ないかな?ってときはテレビ欄から。
ちなみに私は、一面読んだら、後ろ(4コマ漫画のページ)から前に読み戻ってきます。流れ的には、トップニュース→その関連記事&その他報道→コラム系→スポーツ→読者の投稿→政経記事って感じですかね。
TVニュースだとこうはいかないでしょう?決められた順番で、天気予報を聞くためには30分か場合によっては1時間も待たなくちゃいけません。
もちろんデメリットもあります。読むにはお金がかかるしゴミは出る。記事の上でも、新聞社ごとに意見が偏っているし、記事の写真にも世論操作の香りを感じずにはいられません。
でも、それを甘受するだけじゃなく、他のメディアも使っていろんな方面から情報を得るのもまた楽しいじゃないですか。

せっかく社会に生きているんだから、私は世の中で起きていることをもっと知りたい。その手段として私は新聞が大好きなのです。
ぜひ新聞を読んでみてください。付き合い方は人それぞれでいいんです。ちょっとでも魅力を感じてみてほしいです。読●新聞の夕刊だったら一部50円です。始めてみませんか?

50期 小島

『ギブアンドテイク』


最近二郎の券売機に自分の金を突っ込んだ記憶が無い。というのも、近頃学科の私周辺で課題(主にjavaプログラミング)手伝い一回とと二郎一杯の等価交換が成立しているからだ。
しかし、いくら私がアレに目が無いとはいえ、他学科の課題まで引き受けているのは些か疑問に感じないことも無いし、友人の課題提出日のことばかり考えてて自分の課題提出日を完全に失念して(おかげでレポート一回分出しそびれた)いたのは我ながら頭が悪すぎると思う。
とはいえ、こちらも授業ノートや過去レポート(流石に一つの課題に対して11個も集めてきたのには軽く引いたが)などで結構お世話になっている感があるので、困ったときはお互い様ということで納得しておくことにする。
最後に、大学を卒業するときににお互いに良い意味で利益を与え合えるような関係がたくさんできあがってたらいいなと思ったりなんかしてみたりします。

50期 竹本

『滑落』


十月の十二、十三日に行われた秋山行をもって、岳文会の山企画は終了したわけだが、山道具の手入れはすんでいるだろうか。
恥ずかしながら、この原稿を書いている時点で、私はまだ終わっていなかった。とっとと済ませます。
それはともかく、今回話題にしたいのは、高校時代にあった道具の不備によっておこった事故についてである。
あれは高校一年生の冬、スキー板を担いで刈田岳に登り、頂上から滑り降りるという企画だった。冬になると刈田岳の頂上に続く道がすべて雪で覆われてしまうので、その上を滑るという寸法である。
その日、雪山に行くというのにいつも使っていたサングラスを忘れてしまい、部室にあったぼろぼろのゴーグルを持っていった。
はじめは、天気も穏やかで、楽しい山行だったのだが、時間がたつにつれ、荒れ始め、途中で撤退することになった。視界は悪く、まつ毛が凍りついていた。
そんな状態で下り始めたのだが、問題のゴーグルは曇っていてほとんど見えず、サイズもあっていなかった、そのためすぐにとってしまった。
だが、視界は悪くなる一方で、数メートル先も見えなかった、そしてわたしはガードレールを越えて道の外側に滑落した。その瞬間、人生終わったと思った。
幸運なことに5メートルぐらいのところで止まったため、怪我ひとつなかったのだが、本当に死ぬかと思った。
山での事故はつきものである。どんなに気をつけていてもおこってしまうことがある、ただ道具に関して言えば、出発前に余裕をもって準備することや、山行後の手入れをしっかりやることによって、ほとんどの事故は防げるだろう、というわけなので、まだ手入れをしていない人は早いとこやってしまおう。

50期 阿子島

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『恋人』


初めて会ったのは新勧、一目ぼれだった。
出会って間もないのにすんなり俺を受け入れてくれた。俺はうれしかった。
短い間であったけど、遊園地や温泉、いろいろな所に行ったと思う。
お酒もよく飲む。たびたび酔いつぶれる私をいつも介抱してくれた。
いっぱい話をした。面白い話、くだらない話、むっとした話、時たま考えの違いから言い争いになったこともあった。
昼間だけではなく、夜も激しい。なかなか寝かせてもらえない夜が続いた。
たまに暴力的になることもあって、殴る蹴るは当たり前、携帯を床に投げつけられたり、包丁を持ち出されたりしたこともあった。
そんな気性の激しいところもあるけど、気がつけばどっぷりハマり込んでいた、生活のほとんどすべての時間を費やし、奨学金やバイト代、金も数百万単位でつぎ込んだ。
理不尽なとこは多いし、束縛も強い、何度も悩んだ、血を吐いたこともあった。怒りで体がうち震え、涙で枕がぐっしょりなんてことは数え切れない。
己の小ささ、至らなさを幾度となく思い知らされた。
しかし、それゆえに俺を強くそして大きくしてくれたと思う。
反省は大量にあるが後悔はない。もし過去に戻れるとしてももう一度同じ体験を繰り返すだろう。

四年間ありがとう岳文会。

50期 阿子島

『人と接することで自分を磨く』


人生において転機となる出会いってありますよね。この人と出会えたから今の自分がいると思えるような。自分の場合は高校の先生だったり、予備校の講師だったりしますが。
それとは別に、人生観が変わるほどでないにしても自分という人間が磨ける出会いってありますよね。
サークルの仲間でも、クラスの連中でも、バイト先の同僚でも。異質な人間との接しあいの中から見えてくるものは必ずあります。
まだ10代の自分としては自分の青臭さや経験のなさを実感するばかりなのですが、それもまた貴重な体験だったりするわけです。
そう考えるとやはり岳文会はすばらしいと思います。例えば、一口に「高校時代何やってた?」ときいてもバラエティに富んだ答えが返ってきますよね。
武道だったり、球技だったり、音楽だったり、、、。90人いれば90人分の人生経験を未来の自分の理想像に投影することができるわけです。(多少利己的に考えてる側面は勘弁してください。)
大学時代というものは自分の理想とする将来像を探し、着実にキャリア形成を積み重ねるべき時間だと思います。
異質な人との出会いと人間関係を大切にすることも、授業に真剣に取り組むことも、趣味を追求することも、すべてにおいて全力を注ぐ―これが自分の信念です。

51期 大竹

『好き嫌い』


人間誰しも好き嫌いがある。この食べ物はどうしても好みじゃない、とか体質が合わないとか・・・。そしてそのことは食べ物にとどまらず人間関係においても言えると思う。
この人はどうしても好きになれない、生理的に受け付けない等々。
さて、現在日本の学校では不登校や自殺が増えている。その原因の多くは“いじめ”。私は現在、教育学部1年生にして将来教師になりたいと思い教職科目の単位所得に励んでいるわけであるが仮にも教師を目指す身分。
いじめ問題には人並み以上に関心があると自負している。帰りの電車の中、湯船に浸かっている間、寝る前の布団の中・・・。時間があればいじめ解決法という永遠のテーマについて頭をめぐらせている。
キモイって?ほっといて下さい!!汗 僕は日本一熱い教師になるんです!!
取り乱しました。結局到った結論は何か。
人間という生き物は他人の欠点ばかりに目がいってしまうくせがある。あいつのああいうところがウザい、キモイ、嫌いとか陰口を言った経験は誰しもあるはずだ。
でも人間には絶対にその人にしか持っていない長所や個性が必ずあるのだ。しかしながらそれを意識的に見ようとしない限りその人の魅力なんてものは分かりっこないし、いろいろな個性を受け入れる広い視野と器がない限りいじめは永遠に無くならないのだ。
そんなこんなで、私は他人の良いところを意識的に見ようと常日頃心がけている。それを意識するようになってからは私の中で心の底からキライな人は正直いないし、そう思うことも無くなった。
好き嫌いなんて子供っぽいしカッコ悪いと思いませんか?ニンジンが嫌い、ピーマンが嫌いなんていい加減卒業しようよ!!そう全国のいじめっ子に訴えたい!!食わず嫌いならぬ“知らず嫌い”は色んな人と出会えるチャンスを潰し、同時に自分が人間的に大きくなる機会をも失っているのだ。そんなのもったいない!!
根拠のない直感で即座にキライって決めつけないで、深い眼差しでその人の本質を理解できる。そんな先生に私はなりたい!!

51期 伊藤

『TEN YEARS DIARY』


カミングアウトするのがちょっと恥ずかしいのだが、3年くらい前から、毎日日記を書くようにしている。
日記といっても、ブログなどのように公開するものではなく、手書きで自分用につけている。
きっと小さい頃から毎日書くような習慣のある人には「3年ぽっちかよ!」と思われてしまうかもしれないが、挑戦してもいつも長続きしなかった私にとって、これって結構すごいことなのだ。
この日記なのだが、普通のとは少し違って、“10年分の日記帳“なのだ。365ページあって、「1月1日のページ」などのように、それぞれの日にちのページがあり、そのページが縦に10等分されている。
今は3年目だから、上から3つ目の欄のそれぞれのページに書き進めている。行数が短いから詳細には書けないが、だから毎日書くことに負担を感じない。それがこれまで続けて来れた理由だと思う。
そしてこの日記、書いている時に、過去の同じ日付の出来事を瞬時に見ることができる。同じページにあるため、見たいと思っていなくても嫌でも目に入ってしまう。
数年前の同じ日付の自分が何をしていたのか、考えていたのかを読むと、不思議な気分になる。そして、読んでみて「一年前の自分がんばれ!!」と応援してみたくなったり、「ちっちゃいことで悩んでたんだな~」とか思い返せるのだ。
逆に、未来の自分のことも想像してみたりもする。去年だったら、この下の欄数行に日記を書く自分は早稲田の学生になれてるのかな?などと想像を膨らませたこともあった。
思い出って、些細なことであれ、毎日作られているものだと思う。けれど、何かのかたちで残さなければすぐに忘れてしまう。
それでいいものもあるとは思うが、何かもったいない!!と思ってしまうのは私だけだろうか。
たとえ数行でも、その日あったことを書くことで、いつまででも思い出は残ってくれる。そしてそれは未来の自分へのプレゼントになるんじゃないかな、と感じている。
日記が完成するころには自分はどうなっているのかなぁ・・・?そんなことを考える今日この頃です。

51期 谷口

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